Ⅲ-7-7
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『 朝 できず
昼間に できず
夕 できず
夜に しようと
心に きめる 』
さて、どうか( 大笑 )
今、夕刻 です ( 微笑 )
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『 THE CONCEPT OF
AN < EGO – PERSONALITY > IS
SOMETHING THAT HAS BEEN IMAGINED
BY A DISCRIMINATING MIND
WHICH FIRST GRASPED IT AND THEN
BECAME ATTACHED TO IT ,
BUT WHICH MUST ABANDON IT .
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< 我・自分 >という 言葉・概念・思想は、
物事人( 対象 )などを、分別・区別・識別する
< 心 >と 想像され、
これは まず 対象を にぎりしめ、そして執着する
< 心 >で ある。
( これは 本当の < 心 >では ないので、
あまり 気にしては よくなく )
放棄・超越 される< 心 >なので
ございます。
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( ・ へー そんな、こと言われても
困るし、わけが わからない。)
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ON THE CONTRARY ,
< BUDDHA – NATURE > IS SOMETHING
INDESCRIBABLE THAT MUST FIRST
BE DISCOVERED .
IN ONE SENSE , IT RESEMBLES
AN < EGO – PERSONALITY >
BUT IT IS NOT THE < EGO >
IN THE SENSE OF 《 I AM 》OR
《 MINE 》.
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< 仏性・仏種・
仏陀( 真理に目覚める )になる
可能性、素質・仏子 >という
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< エゴ・利己心・自分中心 >と
正反対の < 心 >は、
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< われ あり >( 自分は 自分 )
< わが もの >( 自分のもの )
という
考えが 無く
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人生に おいて
なるべく 早く
気づき 見つけなけねば、ならない
< 心 >なので、ございます 』
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・ このような < 心 >で
生きていける のか ?
ばか・あほ では ないのか ?
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今回は
< BUDDHA – NATURE >
< 仏性・仏種 >という
言葉・考え・思想・( 真実 )を
頭に 入れたいと 存じます。
明日の ために
未来の ために
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また
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