Ⅲ-7-④ は、前回は、
とどのつまり
『 仏陀 が 仏陀 を 産む 、
ブツダ が ブツダ を 育てる
覚者 が 覚者 に 成る
人 は 人 。 』と、いうことか ?
、、、、、、、、、、、、、、、
Ⅲ-7-⑤
『 WE HAVE BEEN SPEAKING OF
< BUDDHA – NATURE >AS THOUGH
IT WERE SOMETHING THAT COULD BE
DESCRIBED , AS THOUGH
IT WERE SIMILAR TO THE < SOUL >
OF OTHER TEACHINGS , BUT IT IS NOT .
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
< 永遠に 滅びることが ない >ような
《 仏性 ぶつしょう・仏種 ぶつしゅ・
ホトケ になれる特質・
人格が円満にして慈悲深くなれる
可能性 》を みんな 持っていると
語ると、
、、、、、、
だれもが 語り教える《 我 われ・が 》と
《 仏種・仏性・・ 》とが、同じであると、
考えるかも しれませんが、
、、、、、、
でも、同じで ないので、ございます。 』
( 仏教聖典からの引用です、
日本語 残月 )
、、、、、、、、
重要なので、道歌では ございません
いや、できるか
、、、、、、、、、、、、
「 わたくしは
わたくしで あり
でもちがう
ちがうけれども
でもおなじなり 」
( なんじゃい )
「 エゴは無い
慈悲はあるなり
わが心
我( われ )は有るのか
我は( われ )は無いのか
有るようで 無く
無いようで 有る
空( くう )であるなり
< 思い >を 捨てて
< 行い >のみ さ
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むずかしい、
実践あるのみ
実践・実行 とは ?
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失礼いたします
「 秋すすみ
冬はくるのか
嵐山
夏をわすれず
春をもとめず 」
( 11月25日 )
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