宗教には
いい面 と わるい面が
もちろん ございます 。
全てに、
プラス と マイナス が
あるように。
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考え易い、例を一つ。
『 吾 唯 知 足 』
( われ ただ しる たる )
( 私は 唯 満足することを
知っている )
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このことを
自覚( じかく )
することと
強制( きょうせい )
される ことでは
天地・雲泥の 差 が
ございます。
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宗教の
( 生命・心 の
あり方、もち方
ゆき方の
先人の 言葉 の )
わるい面は
< 思考停止 >
< 自己陶酔 >に
なりやすい 事です。
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小生は
『 空 』( くう )を
よく 語ってまいりました。
この 自覚には
《 なかま 》と《 師匠・先生 》が
必要だということは
語るまでも ございません。
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なぜならば
< 虚無 ( きょむ )>
( 人生に 意味を 価値を
見つけることが
できなくなる。
すると、
次の
空( くう )を
空( くう )じる、
空空 ・ 不空 など
無師独悟( むしどくご )は
ありえない。
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< 厭世 ( えんせ )>
( 世の中を 、人びとを
いとう・きらう・いやになる。
あふれれる慈悲・
やさしさ・思いやりのある
智慧< ちえ >に
到達できない )
からで ございます。
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つづき ます
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奥深く
見られることも
ありはせず
ただ 美しく
咲いて散るなり
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乙女椿
( おとめ つばき )
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末筆ながら
よき一日でございますように。
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駄弁、饒舌・蛇足、多謝
ただ 敬と愛と ともに
残月 合掌
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