背筋を 伸ばします
顎を 引きます
ゆっくり 呼吸します
、、、、、、、、
ゆっくり 息を吐きます
ゆっくり 息を吸います
くりかえして ください
、、、、、、、、、、
5分
、、、、、、、、、、
次は
息を 数えます
吐きながら「 ひとつ 」
「 ふたつ 」
「 みっつ 」
「 よっつ 」
「 いっつ 」
「 むっつ 」
「 ななつ 」
「 やっつ 」
「 ここのつ 」
「 とう 」
、、、、、、、、
また
「 ひとつ 」に
もどります、
そして
「 ふたつ 」
「 みっつ 」
・・・
「 とう 」
、、、、、、、、、
色々な 音が 聞こえます
拒絶せず 受け入れます
そして 流します
、、、、、、、、、、、
さまざまな
思いが わいてきます
抑えつけない
受け入れてます
気にしない 気にしない
流します
、、、、、、、、、
「 ひとつ 」
「 ふたつ 」
・・・・
「 とう 」
繰り返し ます
5分
、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、
空っぽの 心
ゼロの 心
柔らかな 心
・・・・心
我が無い 心
さわやかな 心
、、、、、、、、
「 無我 の 心 」を
めざします
、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、
質問
『 何のために
我は あるのでしょう。
無我が 目的なら
最初から
無ければ いい 』
『 いい 質問です
そのとうり
最初から
無ければ いい。
( 大笑 )
そうだとすると、
人間としての
《 歓喜 》
( よろこび )が
味会えないので
ございます。
。。。。。。。。
< 我 >(が)が
強く 大きいほど
< 我が無い 体験 >
( 無我の 状態 )の
歓喜は
より 強く大きいので
ございます。
、、、、、、、、、
だから
< 我 >は
あります
< 我 >を
感じます
< 我 >を
意識 します。
。。。。。。
でも
重い ( 爆笑 )
、、、、、、、、、、、
だから、
人間である かぎり
《 我 》を自覚する
人間で あるかぎり、
、、、、、、、、、
無意識に
意識的に
《 無我 》を
もとめて います。
自分では
気が つかなくても
で ございます。」
つづき ます
、、、、、、、、、
琵琶湖( びわこ )です
すばらしい
絶景です
、、、、、、、、
また
失礼いたします
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