先日、カメラを
どこかに 忘れてました。
、、、、、、、、、、、
この 美しさを
どう 伝えたらいいのか ?
、、、、、、、、、、、
どう 表現したら いいのか ?
( だれも、関心ないさ )微笑
、、、、、、、、、、
この 「 道 」の
すばらしさ を どう伝えるのか ?
「 道 」( みち )は
なんぞ、なんでしょうか ?
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日常 を こえて
日常 を ささえ
日常 を みちびく
非日常 。
、、、、
日常 に うもれず
日常 に くさらず
日常 に あきず
日常 に つかれず
日常 を あいする
ための、
非日常。( 爆笑 )
、、、、、、、、、、、、
世間は、社会は、世界は
< 右 >と< 左 >に
分かれやすい
また、分かれている。
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だから、
右でもない
左でもない
《 中 》が 大切である。
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この《 中 》が
『 日常を 愛すること 』と
とらえたい。
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でも、言うだろう
『 日常を 愛せない 』から
< 当然ながら、
右に、左に 成る >と。
わかります
、、、、、、、、、
でも、調和・融和・・・
を、全てに 優先したい
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《 中 》が、多数に
なれば いいのだ、微笑
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で、どうする ?
つづき ます
、、、、、、、、、、、
「 右左 どちらに心 置くべきや
心は常に 真ん中なのさ 」
「 手や足は 右や左に 動けれど
心は常に 真ん中なのさ 」
「 わからない 真ん中なんて
わからない
優柔不断( ゆうじゅうふだん )
曖昧模糊( あいまいもこ )だ 」
「 《 しあわせだ 》
《 満足である 》 わたくしは
命がありて 心がありて 」
「 このわたし
命 無くなる
しあわせか
無我を 知るほど
しあわせで ある 」
「 それならば
無我は なんぞ
なんなのか
かんたんなのさ
我( われ )が無いのだ 」
「 我無くば
さびし かなしと
思うけど
友や仲間は
いないかや 」
、、、、、、、、、、
「 我無くば
命と心
ありがたく
全てが 包み
全てが 愛す 」
( うそー )
( ほんと さ )
( あーほ )
( あほ さ )
( バ―カ )
( バカ さ )
< 爆笑 >
、、、、、、
和歌・短歌で ありません、爆笑
道歌に しても
おそまつ だ。
575 77
の 文字ならべ、微笑
、、、、、、
駄弁、饒舌・蛇足、すみません
されど、
敬と愛を こめて
嵐山 残月
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