『 ⑩ THOUGH
I ATTAIN BUDDHAHOOD ,
I SHALL < NEVER > BE
COMPLETE
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
UNTIL PEOPLE EVERYWHERE ,
HEARING MY NAME ,
LEARN RIGHT IDEAS
ABOUT LIFE AND DEATH ,
AND GAIN THAT
PERFECT WISDOM THAT
WILL KEEP THEIR MINDS
PURE AND TRANQIL
IN THE MIDST OF
THE WORLD,S
GREED AND SUFFERING .
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
世界中の どこで 生活して
いても、
< わたしの 名前 >を
耳にして、
< 生きること・死ぬこと >に
対しての
《 正しい 見方 》を学び、
、、、、、、
< 強欲 と 苦悩 の 世界 >
に生存・生活しながら、
< 純粋 で 静かな平安 な 心 >を
保つ、《 真理の 智慧 》を
、、、、、、、、、、
もつことが できない ならば、
、、、、、、、、、、、
わたしは
《 平安・軽安・満足 》の世界に
安住( あんじゅう )は、しない。
、、、、、、、、、、、
( つまり、わたしは、
全ての 仲間< 人間・生命・存在・ >
が、『 平安 』で あるように
務め・はげみ・精進・工夫・・
して行くで あろう )』
( 仏教聖典からの 引用です、
駄駄日本語、残月合掌 )
、、、、、、、、、、、
駅の中
知る人もなく
流れ行く
電車の 鏡
老僧は 誰 ?
< 爆笑 >
、、、、、、、、、
失礼いたします
末筆ながら
よき一日でございますように。
嵐山 残月、合掌・頓首
2回目 すみません
「 脱死 のためには、
超生 でなければ 」
、、、、、、、、、
《 超生 》( ちょうしょう )
とは、どういう こと ?
、、、、、、、、
1回目は
《 無生 》( むしょう )を
語りました。
私たちは、
《 長生 》では なくて
《 無生 》を もとめる
べきである。
、、、、、、、、、、
さあ、
《 無生 》とは、何か ?
< 爆笑 >
わからいよー
《 有生 》 である 人間の、
< 私は 生きている >と
思い込んでいる 私の
、、、、、、、、、、
最高の 喜び である。
この 自覚は。
この ように 思えたら。
、、、、、、、、
うそー
ほんと さ
うそー
うそ じゃ ない
< 微笑 >
。。。。。。。。。。。。。
昨日、葬儀を 厳修。
まさに、
《 超生 脱死 》の 世界・
《 安楽 》世界へ
導く 法要と 申せます。
大合掌
、、、、、、、、、、
追伸、
《 超生 》とは、何か?
つづき ます
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