『 どんな 親
どんな 家に
生れたのかで、
人生は 決まる。
オレは、 不幸だ。 』
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バカ な 事を
言っては ならない。
そう、思うことが たとえ
あったとしても、
言葉にしては ならない ( 微笑 )
まけるな
負けては ならない
< オレ >( おのれ・己 )の人生は
自分で 、切り開くのだ 。
その 道具を 持てない
道具を 作れ
作れない
学べ( まねろ )
まねする ことが できない
あたまを 下げろ
けられたら ?
たえろ
人生を 自分を 捨てるな
たえる ?
遠くを 見る 。
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以前 《 24時間、全介護 》の
若者と お会いした。
力づよく 生きてられた。
『 これが 、最後の人生・ 転生です。
もう、生れて来ない 。』 と。
なんと 。
今生で、解脱( げだつ )すると
いうことだ 。
解脱 ?
悲しみ・苦しみ・喜び・楽しみに
振り回されない 《 自分 》を
知ること ( 自覚 )。
そのために、
おのおの 苦悩( 人生・体験 )・歓喜が
ある。
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《 真空 》の 体得( 自覚 )こそが
個人の 人生の目的( 意義・意味 )
である。
そして、
自他を のりこえ 、
慈悲・ やさしさ・ 人々のために
生きる。
日常生活( 学校・家庭・職場・国家・世界・・)を
通して。
出家・ 超俗 の 修行も ありますが・・。
一時の 出家は 重要かもしれません。
《 家 は、 最善である 。
家 は、 最悪である( 大笑 ) 》
「 出家 」「 出 学校 」
「 出 職場 」 「 出 日常 」
「 出 自分 」 ( 大笑 )
・ 休暇、娯楽、遊戯
そして、旅行など
しかし、修行が
つまり、《 無我 》の
練習が 、格安( 大笑 )で、
確かである。
饒舌・蛇足・駄弁、多謝
敬と愛とともに
嵐山 残月、 合掌
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『 保津川下り の 父 』
角倉 了以翁 像
10日(金) 10時半
年に一度の
川下りを なさります。
嵐山 着、12時ころ
いつのに日か
《 祭り 》にいたします。
10年以内に 。( 大笑 )( おそい )
亀岡、王子 《 意泉院 》
引きこもりの子・若者を
おあずかり なさられてます。
江戸時代の 了以翁は、こちらです。
若者ふたりが、一日中、
《 大悲閣・千光寺 》を 護って
くれてました。( 合掌 )
17歳の 描きし 仏画
階段の修理が
だいぶ 進みました。
『 わたしたちが、
消えた後( 死んだ後 )、
だれかが、
喜んでくれる
でしょう 。
ともに、ガンバリましょう、
感謝いたします。 』( 大合掌 )
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失礼いたします
末筆ながら よき一日で
ございますように。
無能 無知
厚顔 無恥
愚僧 萬拝
つづく
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