[ THE TEACHING OF BUDDHA ]
< HUMAN DEFILEMENTS AND
THE WAY OF PRACTICAL
ATTAINMENTS > NO, 35
< わたしの 心の チリ と アカ 、
どうしたら いいのでしょう >参拾五
「 IF YOU HAD RECOGNIZE THESE MESSENGERS
AND TAKEN THEIR WARNINGS YOU WOULD
HAVE CHANGED YOUR COURSE , AND
WOULD NOT HAVE COME TO THIS PLACE
OF SUFFERING .
もし 、あなたが、
《 わたしたちは だれでも 、老いて 苦しみ 、
わたしたちは だれでも 、病んで 苦しみ 、
わたしたちは だれでも 、死 なねば ならない。 》
という、 天( 神・仏・真・法・空・光・・・・・・ )からの
伝言を きちんと 受けとめ 、
自分の人生の 方向
日々の生活の 方針
行いの優先順の 転換
( 何が 人生で 大切なのか )
( 何が 自分に 重要なのか )
を 変えなかった から
《 我 》
( が ・ 自分中心 ・ 自分勝手 ・ エゴ )
( わがまま ・ ・ ・・ )
《 我 の 痛み 》に
苦しむ ここに 来たのである 。 」
( 仏教聖典からの 引用です
駄日本語 、愚僧 残月 、合掌 )
・ 『 救いは あるのか ? 』
『 ある 』
ある 大禅師 は 言った
『 わしは 地獄へ 行く 。
わしが 助ける 。 』
大合掌
・
世界は
社会は
職場は
学校は
この世は
自己中心でないと
強い 《 我 》で なければ
生きていけない
状況・境遇・環境・生活・仕事・・・・
が 多い
でも
くじけず
試行錯誤しながら、
前進 後退 しながら
あきらめず
ともに
進みたく 存じます 。
苦しみを 減らすために 。
生きてる間の 苦
人間である間の 苦
死んだ後の 苦 ( 微笑 )
すこしでも 。
・ 《 我 》 は 《 苦 》 である。
《 無我 》 は 《 楽 》 である。
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お待たせしました、ゴメン 。
ようこそ、
大阪から お母様( 鹿児島 )と ご一緒 。
ありがとうございました。
愚僧は 九州男児 です ( 大笑 )
ブログ 見て
三時すぎに 来て下さいました。 感謝
留守と 気づき 駆けつけて
寺院を 助けてくださった 仲間も。
感謝いたします。 合掌
18 30
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GOOD DAY
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< ENLIGHTENMENT WITH YOU >
by a small monk
I AM SORRY
SEE YOU AGAIN
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