[ THE TEACHING OF BUDDHA ]
< HUMAN DEFILEMENTS AND
BUDDHA , S VOWS > NO, 25
< わたしの 心の チリ と アカ 、
心の 奥の奥の奥の奥の 何か
( み仏さまの やさしく 強き ネガイ )
「 AS LONG AS
PEOPLE DESIRE ENLIGHTENMENT AND
GRASP AT IT , IT MEANS THAT DELUSION
IS STILL WITH THEM , THEREFORE ,
THOSE WHO ARE FOLLOWING THE WAY TO
ENLIGHTENMENT MUST NOT GRASP AT IT ,
AND IF THEY REACH ENLIGHTENMENT
THEY MUST NOT LINGER .
わたしたちが < さとり ・ 光明 >を
つよく求め また それを にぎりしめてることは
妄想( もうそう )である 、
だから、< さとり を もとめる人 >
< さとり への 道を 歩む人 >
< 本当の やすらぎ・やさしさ を持ちたい人 >は
( ちいさな・ すこしの )
< 安心・安楽・さとり >に こだわってはならない。
もし、< さとり の 世界 ・
恐怖、不安の解消 ・ 命そのもの 喜び ・
すべてに やさしい まなざし、こころ >に
ふれたとしても ( 到達したとしても )
そこに 居座っては ならない 。
( まだ、まだ、小さく 少しなの だから )
WHEN PEOPLE ATTAIN ENLIGHTENMENT
IN THIS SENSE , IT MEANS THAT EVERYTHING
IS ENLIGHTENMENT ITSELF AS IT IS ,
THEREFORE , PEOPLE SHOULD FOLLOW
THE PATH TO ENLIGHTENMENT UNTIL IN
THEIR THOUGHTS , WORLDLY PASSIONS
AND ENLIGHTENMENT BECOME
IDENTICAL AS THEY ARE .
このような 心地 ( 心境・ 境地 )になると 、
< すべてのもの >は < さとり の世界 >・
< 暗闇 の まま 光明を 感じる > と 、
いうことになる 。
だから わたしたちは 、
< 世間の 悲しみ・苦しみ・ 情愛・・・ >そのものが、
< さとり ・ 安心 >と 同じと思えるくらい、
< さとり >きらなければ、ならない、
のである 。 」
( 仏教聖典からの 引用です。
駄日本語 残月、 大合掌 )
《 大笑 》
《 わからない 》
《 信じる 》
《 疑う・ うたがう 》
《 歩みつづける 、
自分を 信じて 》
・ 自分を 信じるとは ?
つづき ます
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
( 微笑 )
嵐山 山中
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
ようこそ、 ようこそ
この春から 社会人 、
おめでとうございます 。
ようこそ ( 三重 )
ご友人の すすめ とか
「 ただ 一人きり 。 ぜいたく です 。
すばらしい 」 と。 合掌
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
大悲閣道 ( 明治 )
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
[ JUST NOW
I THINK ABOUT PARIS AND SYRIA.
ENLIGHTENMENT TOGETHER ]
< CIRCLE HERE , CROSS NOW
WE LOVE YOU >
on mt.arashi with dragons
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GOOD DAY
&nb
sp; GOOD LUCK
MY HANDS TOGETHER
< ENLIGHTENMENT WITH YOU >
a small and little monk
SEE YOU AGAIN ♪ ♪♪
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