[ THE TEACHING OF BUDDHA ]
< BUDDHA — NATURE > NO , 4
「 BUDDHA – NATURE DOSE NOT APPEAR WITHOUT
DILIGENT AND FAITHFUL EFFORT ,
NOR IS THE TASK FINISHED UNTIL BUDDHA HOOD
IS ATTAINED .
仏性( 仏に なる 種 )が あっても、
修めなければ 現れず 、
現れなければ 、 道( 仏に成る 、方法・手段 )を 、
成しとげたのではない。
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THESE CATEGORIES OF EVERLASTING AND DEATH ,
AND EXISTENCE AND NON – EXISTENCE ,
DO NOT APPLY TO THE ESSENTIAL NATURE OF THINGS ,
BUT ONLY TO THEIR APPEARANCES AS THEY ARE
OBSERVED BY DEFILED HUMAN EYES .
この < 断 ・ 常 ・ 有 ・ 無 >< だん ・ じょう ・ う ・ む >は
もの ( 物 ・ 人 ・ 事 ・ 理 ・・・・ )そのもの の
すがた ( 姿 ・ 相 ・ あらわれ ) では なく 、
私たちの 汚れた
( 本来の 純真 でない ・ 我 < 自己意識 >が強い ・執着心 )
眼( まなこ )から 、見た ( 感じた ) すがた である。
BECAUSE OF HUMAN DESIRE , PEOPLE BECOME
RELATED AND ATTACHED TO THESE APPEARANCES ,
BUT IN THE ESSENTIAL NATURE OF THINGS ,
THEY ARE FREE FROM ALL SUCH
DISCRIMINATIONS AND ATTACHMENTS .
欲望( よくぼう・ 自己保存 ・ 自己拡大 ・ 自分中心・・・ )
のために、私たちは 、 現われである ( 物・人・事 ・・・ )
ことに 関係し 縛られ( しばられ ・ 執着 )る 。
もの の 本質・本性 は 、このような< 断常有無 ・・ >
という 区別 ・ 識別 と こだわり( 執着 ) から
自由でいる ( 離れている ・ 縛られない しばられない )。 」
( 仏教聖典 からの 引用です 。 駄日本語 残月 )
自己保存
自己拡大 が
わたしなり
これを< 慈悲心 >
変えるは 仏
自分だけ
得するなんて
できないぞ
自己中心を
捨てるが 菩薩( ぼさつ )
執着し
苦しみ もがき
成長す
いつか 成仏
無執着( むしゅうちゃく )
< 大笑 >
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両忘や
自分 ・ 世界も
捨てちゃった
空 無我 、真我
神 仏 かな < 微笑 >
・ じょうぜつ たやしゃ 頓首、 合掌
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冬枯れの 山寺まいり 美しや
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[ JUST NOW
I THINK ABOUT PARIS AND SYRIA .
I WANT TO THE HARMONY . ]
&nb
sp; ≪ CIRCLE HERE , CROSS NOW ,
WE LOVE YOU .
= A SMALL HARMONY ≫
on mt. arashi with dragon
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GOOD DAY
GOOD LUCK
MY HAND TOGETHER
< WISH TO ENTER INTO A LIFE OF
ENLIGHTENMENT TOGETHER >
a little monk
see you again , ♪ ♪♪
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