了以忌や 嵐の山も 近くなり
了以忌や どこであろうが 大悲閣
了以忌や 忘れられても ご満足
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『 弁財天 ( 女 ) 』 の 由来 、 その四
「 信心が 深い その家の 当主は
明治 38年( 1905 ) ( 巳 年 ・ 巳 月 ・ 巳 日 ・ 巳 刻 )
有志 30余人と 共に 伏見から
『 弁財天 尊像 』 を、嵐山 大悲閣に ご鎮座
いただく 事と 相成りました 。 」
平成 27年 9月 2日 ( 巳 日 ・ 巳 刻 )
神龍会 ( 弁天さま 護持会 、明治より )
中興僧 ( 数十年 途絶えている のを )
野口 道勝 、 合掌
< 現在、千光寺にて 、刻苦精進 中 >
< 三ヶ月目 、谷川が 冷たくなった。 >
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・ 巳 ( み 、 蛇 のこと 、弁天様の 御使い )
( 大蛇 、霊蛇 は 神龍 である )
・ ご鎮座後 、 境内地 の 購入 ( 中心部のみ )
客殿 建立 等
寺門 繁栄する 。
・ 平成 25年 ( 2013 )
5月 の 了以翁 400年忌< 嵯峨 二尊院 > も
はからずも 巳 年 ・ 巳 月 ・ 巳 刻 ( 10時 前後 )
でした 。
ありがたや ありがたや ありがたや
『 不可思議な 有難き事 満ち溢れ
嵐の山は 光 輝く 』
敬と 愛と ともに
残月 合掌
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旧 平安宮内 の寺院の 石仏 さま。
( 禅定 に 入ってられる 、ありがたや 、合掌 )
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はからずも やまいの友を みまいなば
光悦翁の やまをあじあう
琳派 の 光悦 ・ 宗達 ・ 光琳 を ささえし
了以翁 嫡子 、 素庵 さま 。
当時の 京都人 ( 町衆 ・ 文化人 ・ 芸術家 ・ 僧侶 ・・・・・ )は
たいへんな 時代社会 ( いつも みたいですが 、微笑 )を
よりよく 生きぬかれて られるような気が いたします 。
わたしたちも、お互いに、 同時代人として
ともに よりよく 生きぬきたい ものでございます 。
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失礼いたしまし
末筆ながら よき一日でございますように
・ 大阪の 信心深い 大兄さまの
一日でも 早い ご回復を 御祈りいたします 。
厚顔 無恥
愚僧 萬拝
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