[ THE TWACHING OF BUDDHA ]
< BUDDHA — NATURE > NO , 8
< 仏 ( 悟・覚・ さとり )の 種( たね ・ 元 ) >
「 ONCE UPON A TIME A KING GATHERED SOME
BLIND MEN ABOUT AN ELEPHANT AND ASKED THEM
TO TELL HIM WHAT AN ELEPHANT WAS LIKE .
THE FIRST MAN FELT A TUSK AND SAID AN
ELEPHANT WAS LIKE A GIANT CARROT ,
ANOTHER HAPPENED TO TOUCH AN EAR AND
SAID IT WAS LIKE A FAN ,
ANOTHER TOUCHED ITS TRUNK AND SAID IT
WAS LIKE A PESTLE ,
STILL ANOTHER , WHO HAPPENED TO FEEL
ITS LEG , SAID IT WAS LIKE A MORTAR ,
AND ANOTHER , WHO GRASPED ITS TAIL SAID
IT WAS LIKE A ROPE .
NOT ONE OF THEM WAS ABLE TO TELL THE
KING THE ELEPHANT,S REAL FORM .
むかし 、一人の 王が いました 、そして 、
象( ぞう )を 見たことのない人を 集め、 目かくしして
象に ふれさせて 、象とは どんなものであるか を
めいめいに 言わせた 。
象の 牙( きば )に 、触れたものは
象は 大きな ニンジン のようなものであると いい、
耳( みみ )に 触れたものは 、扇( おおぎ )ような ものであると
鼻( はな )に 触れたものは 、杵( きね )のような ものと
足( あし )に 触れたものは 、臼( うす )のような ものと
尾( お )に 触れたものは 、縄( なわ )のような ものであると
答えた 。
一人として 、象そのもの ( 本当の 象 )を
とらえ 得た者は いなかった 。
、、、、、、、、、、、、、、、、、
IN LIKE MANNER , ONE MIGHT PARTIALLY
DESCRIBE THE NATURE OF MAN BUT WOULD NOT
ABLE TO DESCRIBE THE TRUE NATURE OF A
HUMAN BEING , THE BUDDHA — NATURE .
人間を 見てとらえるのも 同じで 、
人間の 一部分に 触れることが できても 、
その < 本性 >( ほんしょう )である
< 仏性 >( ぶつしょう ) を
見てとらえる 、
言い当てること
気づくこと
自覚 ( じかく ・体得 )することは、
簡単( かんたん )・容易( ようい )
では ない 。 」
( 仏教聖典からの 引用です、 日本語の加筆は 残月 合掌 )
・ だったら、
わたしたちが、 仏 ( ほとけ )( 人格者 )に
成長したり、
菩薩( ぼさつ )に なったり 、
さとり ( 悟 ・ 覚 )のような
< 心 の 成熟 >を どうしたら できるの でしょうか ?
そのために 、
どうしたら 、 よいのでしょうか ?
・ 心 の 成長 とは ?
心 の 成熟 とは ?
「 人間の 命が
めざす もの とは 何で
あるので しょうか ? 」
ともに、
考えたく存じます 。
つづき ます
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
現在、 嵯峨 「 花の いえ 」 ( 旧 角倉屋敷 ) に 、
いらっしゃいます ( 微笑 ) 。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
? ? ?
GOOD DAY
GOOD LUCK
APPRECIATION
MONK OF ARASHIYAMA
< I WISH TO ENTER INTO A LIFE OF
ENLIGHTENMENT TOGETHER >
SORRY ABOUT MY POOR ENGLISH
SEE YOU
♪ ♪♪ ♪♪ ♪♪
コメント