[ THE TEACHING OF BUDDHA ]
< BUDDHA – NATURE > NO , 1
< 「 さとり 」 の 種( たね ) >
「 FUNDAMENTALLY , EVERYONE HAS A PURE CLEAN MIND ,
BUT IT IS USUALLY COVERED BY THE DEFILEMENT AND
DUST OF WORLDLY DESIRES WHICH HAVE ARISEN FROM
ONE,S CIRCUMSTANCES .
すべての 人々には 、
清浄( しょうじょう )な 本心( ほんしん )が ある 。
それが 外の因縁( 直接原因 と 間接原因 )によって生じる
この世( 社会 )の欲望( 迷いの ちり ・ ほこり )の、
ために、おおわれている 。
THIS DEFILED MIND IS NOT OF THE ESSENCE OF
ONE,S NATURE , SOMETHING HAS BEEN ADDED ,
LIKE AN INTRUDER OR EVEN A GUEST IN A HOME ,
BUT NOT ITS HOST .
しかし 、 ちり ・ ほこり がついた 心は 、
あくまで 、従 ( お客さま )で あって 、
主( ご主人 ) では 、ないのである 。
THE MOON IS OFTEN HIDDEN BY CLOUDS , BUT
IT IS NOT MOVED BY THEM AND ITS PURITY REMAINS
UNTARNISHED .
THEREFORE , PEOPLE MUST NOT BE DELUDED INTO
THINKING THAT THIS DEFILED MIND IS THEIR OWN
TRUE MIND .
月は 、しばらく 雲におおわれても 、
雲に 汚されることも なく 、また 動かされる こともない 。
だから、 浮動する ( ちり ・ ほこり )のような ( 迷いの 心 )を
自分の ( 本当の 心 )( 本性 )と 、思ってはならない 。 」
( 仏教聖典からの 引用です 、日本語一部 残月 )
・ よく 言われ、 耳にすることでしょう 。
次に 、進みたい 。
ほんとう なのか ?
自分の 生活 に どう 関係 するのか ?
いえ、 自分の 心の動き
( 心地 よさ ・ 気持ち よさ ・ 安心 )に
関係するのか ?
生活 実践実行 しながら 、
どうか ぜひ 考えて くださいませ 。
・ 「 ひとり 」 は 「 みんな 」 の ために
「 みんな 」 は 「 ひとり 」 の ために 。
という、 理想( つくるべき 集まり )は
どうしたら よいのか ?
わたしたちの 強い 『 我 』 を
どう 全体に あわせて いったら いいのでしょうか ?
全体のことを 『 公 』 と しましょう 。
『 我 』 と 『 公 』 が、 いっしょに
なることを 、 『 仏 』 と よんで みます ( 大笑 )
( 昨日の つづき なら これが 『 円 』 です )
大きさが 色々でしょう。
ちいさな 小さな 『 円 』 で いいのです 。
これを、つかみたいもので ございます 。
どうするのか ?
まず は、
『 言葉 』 と 『 行い 』 の 一致( いっち )から 。
( つまり 、言 と 行 を 『 円 』 にする )( 微笑 )
< はい > ( 小生 ・ 愚僧 )
つづき ます
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両岸を 渡すお橋の ありがたさ
嵐の山の 渡月橋かな
・ ( 嵐の山 )とは、( われらが 人生なり ) 微笑
不動滝( 境内 )
流れ行く 白い水をば 不動さま
言葉をこえよ 物をばこえよ ( ・ )
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何も無し 万物溢る 亀嵐峡 ( きらんきょう ) ( ・ )
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GOOD DAY
GOOD LUCK
MY FRIENDS AND FAMILY
APPRECIATION
ARASHIYAMA KYOTO
< ENLIGHTENMENT TOGETHER >
I AM SORRY FOR MY POOR ENGLISH
SEE YOU
AGAIN
『 CIRCLE HERE , NOW 』 IS THE BEST .
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