[ SHAKYAMUNI BUDDHA WAS BORN
ON 8 APRIL ] NO , 12
「 ( IF HE LOOKS IN THE RIGHT WAY HE RECOGNIZES
THE TRUE NATURE OF SICKNESS , OLD AGE AND DEATH ,
AND HE SEARCHES FOR MEANING IN THAT WHICH
TRANSCENDS ALL HUMAN SUFFERINGS .
IN MY LIFE OF PLEASURES I SEEM TO BE LOOKING
IN THE WRONG WAY . )
正しいものを もとめることと いうのは 、
この < あやまり > を さとって 、
≪ 老い ≫ と ≪ 病 やまい ≫ と ≪ 死 ≫を
こえた ( 超えた )
人間の 苦悩の すべてを はなれた ( 離れた )
≪ 境地 きょうち ≫ を もとめる ことである 。
今 の わたしは この
あやまっていた ものを 求めて者に すぎない 。
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THUS THE SPIRITUAL STRUGGLE WENT ON
IN THE MIND OF THE PRINCE UNTIL HIS ONLY CHILD ,
RAHULA , WAS BORN WHEN HE WAS 29 .
THIS SEEMED TO BRING THINGS TO A CLIMAX , FOR
HE THEN DECIDED TO LEAVE THE PALACE AND
LOOK FOR THE SOLUTION OF HIS SPIRITUAL UNREST
IN THE HOMELESS LIFE OF A MENDICANT .
HE LEFT THE CASTLE ONE NIGHT WITH ONLY HIS
CHARIOTEER , CHANDAKA , AND HIS FAVORITE HORSE ,
THE SNOW –WHITE KANTHAKA .
このように 心を 悩ます日々が つづいて 、
月日は 流れ 、 太子 29歳の年、 一子 ラーフラ ( らごら )が
生まれたときに 、太子は ついに 出家の 決心をした 。
彼は 御者の チャンダカ を ともない 、
白馬 カンタカ に またがって 住み慣れた宮殿を
出て行った 。
そして 、 この俗世界との つながりを
断ち切って、 出家の 身と なった 。 」
( THE TEACHING OF BUDDHA , 仏教聖典より 引用 )
・ しかし、 まさに
< 彼 > は < 太子 たいし >であり
< 家 >でなく < 宮殿 >であり 、
孤独・孤立 でなく
≪ ともの者 ≫が 側におり
なんと、
< 白馬 >に またがっての
ご出家で ございます ( 微笑 )
また、 子どもが誕生し
親としての < 責任 >が 発生しながら、
おそらく、 他のお方に まかせられる 環境に
いたのでしょう 。
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ここで、 彼を 特別だ 、境遇がちがう
わたしは ボンボン・ ジョウチャン ではない 、
だから、 関係ないと
思わないで いただきたい。
彼が 発見・ 自覚・ 体得 した
≪ 真理 ≫ とは 、
直接は 関係無い ので ございます。
その後、
色々な 境遇の 方々が
≪ 真理 ≫を もとめ 体得し
安心し 幸福を 味会い
すべての 存在に つくし 、幸福を 調和を
ひろげて いった 人々が 数知れず
いらっしゃつた、
いらっしゃる からで ございます 。
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WELCOME MY NEW FAMILY . I AM SO HAPPY .
MY NEW FRIEND FROM INDIA .
NICE TO MEET YOU .
MY NEW FRIENDS FROM ISRAEL
NICE TO MEET YOU .
MY YOUNG GIRL FRIEND FROM FRANCE .
NICE TO MEET YOU .
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GOOD DAY
GOOD LUCK
I HEARTILY PRAY .
APPRECIATION
JOIN MY HANDS TOGETHER
MONK OF ARASHIYAMA JAPAN
< WISH TO ENTER INTO A LIFE OF
ENLIGHTENMENT TOGETHER >
SEE YOU
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