[ FEBRUARY FIFTEENTH 2 / 15 < NIRVANA > ] NO , 7
( 釈尊 の 命日 )
「 MY DISCIPLES , MY LAST MOMENT HAS COME , DO NOT
FORGET THAT DEATH IS ONLY THE END OF THE PHYSICAL
BODY .
弟子たちよ、 今は 私の最後の時である 。
しかし、 この死は 肉体の< 死 >であることを、
忘れては ならない 。
THE BODY WAS BORN FROM PARENTS AND WAS
NOURISHED BY FOOD , JUST AS INEVITABLE ARE SICKNESS
AND DEATH .
< 身体 >は 父母より 生まれ、
食によりて、 保たれているもので あるから、
< 病み >< 傷つき >< こわれること >は、しかたがない 。
( やむを 得ない ・ 当然で ある )
BUT THE TRUE BUDDHA IS NOT A HUMAN BODY ,
IT IS ENLIGHTENMENT . A HUMAN BODY MUST DIE ,
BUT THE WISDOM OF ENLIGHTENMENT WILL EXIST FOREVER
IN THE TRUTH OF THE DHARMA ,
AND IN THE PRACTICE OF THE DHARMA .
< 仏 ( ほとけ ) >の 本質( ほんしつ )は
< 身体 ( 肉体 ) > ではない 。
≪ さとり ≫ で ある 。
< 身体 >は 、 ここに 滅びても 、
≪ さとり ≫ は、 「 永遠 」 に
< 真理 ( 道理 )( 真実 )( 法 )( ダルマ DHARMA ) >と
< 道 ( 真理の生活 ・真理の実行・ 真理の修行 PRACTICE ) >
とに( の中に ) 、 「 生きている 」 。
HE WHO SEES MERELY MY BODY DOES NOT
TRULY SEE ME . ONLY HE WHO ACCEPTS MY
TEACHING TRULY SEES ME .
だから、私の< 身体 ( 肉体 ) >を 「 見るもの 」が 、
< わたし > を 見るのでなく 、
< わたし >の< おしえ TEACHING >を
「 知るもの 」 こそが
< わたし > を 見るので のである 。 」
( THE TEACHING OF BUDDHA 仏教聖典より 引用 )
( 日本語の 簡略化 は 、 残月 )
TO BE CONTINUED つづき ます 。
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般若( はんにゃ ・ 智恵 ) 道場
3月1日( 日 ) 11時から 、2人のお方が 坐禅を 体験 。
関心の おありお方は どうぞ。 当日、13時から
法話( 読経 )日です 。 どうぞ どうぞ 。 無料なり 。
向うに 渡月橋 、大悲閣道 で ございます 。
「 般若 」 への 道 は 遠い ( 微笑 ) 1200M ( 大笑 )
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GOOD DAY
GOOD LUCK
I HEARTILY PRAY .
APPRECIATION
JOIN MY HANDS TOGETHER
MONK OF JAPAN
< WISH TO ENTER INTO A LIFE OF
ENLIGHTENMENT TOGETHER >
SEE YOU
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