[ FEBRUARY FIFTEEN 2 / 15 < NIRVANA > ] NO, 5
「 STUDY TOGETHER , LEARN TOGETHER , PRACTISE
MY TEACHINGS TOGETHER .
DO NOT WASTE YOUR MIND AND TIME IN IDLENESS
AND QUARRELING .
ENJOY THE BLOSSOMS OF ENLIGHTENMENT IN THEIR
SEASON AND HARVEST THE FRUIT OF THE RIGHT PATH .
弟子たちよ
< おしえ >を ともに守り、ともに学び、
ともに修め、はげましあって、
「 道 の 楽しみ 」 を、 ともにせよ 。
つまらない事に
心を つかったり、 むだな事に 時間を ついやさず、
< さとり >の 『 花 』 を つみ、
「 道 の 果実( このみ ) 」 を とるがいい。
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・ 「 つまらない事 」 とは 何 ?
・ 「 むだな事 」 とは 何なの でしょうか ?
本来、
「 つまらない事 も むだな事 」 も
ないのですが 、、。
・ 「 道を 楽しむ 」
もう 迷う ことは ない( 微笑 )
< 道楽 >どうらく、
いいですね、
「 人生 は 道楽 」( しばし の 間 )
( 大笑 )
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MY DISCIPLES , MY END IS APPROACHING , OUR
PARTING IS NEAR , BUT DO NOT LAMENT .
LIFE IS EVER CHANGING , NONE CAN ESCAPE THE
DISSOLUTION OF THE BODY .
THIS I AM NOW TO SHOW BY MY OWN DEATH ,
MY BODY FALLING APART LIKE A DILAPIDATED CART .
弟子たちよ
わたしの 終わりは すでに近い 、
別離も 遠いことでは ない 。
しかし、 いたずらに 悲しんでは ならない 。
この世は、無常( 変わらない物事は 無い )であり
生まれて 死なないものは いない 。
今、わたしの< 身体 >が
くちた車のように、 こわれるのも、
この 『 無常の 道理 』 を
< 身体 >を もって 示すのである 。 」
・ 「 無常 」 の この< 世 >、
「 無常 」 の この< からだ >
「 無常 」 の この< こころ >
「 無常 」 の この< なかま >
、、、、、、
この「 無常 」 だらけに おいて( 微笑 )
( 大笑 )、
いったい、
≪ さとり ≫とは 何なの でしょうか ?
その ≪ さとり ≫と よべるものも、
当然、
( 変化し消えていく )もの で、
ございます でしょう 。
すると、
「 すべて 変化し消えていく 」 と
わかる・解釈する・理解する・認識する
うなずく・納得する・ < 自覚 >
する ことなのでしょうか ? ?
「 無常 」 が 「 無常 」 を
< 自覚 >する 。 という、
奇妙な表現に なりそうです。( 大笑 )
なぜなら、自分も「 無常 」なのですから ( 微笑 )
よろしかったら、
考えて みてください ませ。
つづき ます
( THE TEACHING OF BUDDHA 、 仏教聖典より 引用 )
TO BE CONTINUED ( 註解 残月 )
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DAIHIKAKU MITI < THE ROAD FOR OUR TEMPLE , 1000M >
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THREE CATS NEAR ARASHIYAMA
THEY ARE DRINKING THE WATER FROM MT. ARASHIYAMA .
HERE IS < JYADANI
> THAT THE DRAGON HAD APPEARED
THIS POINT . ( SMILE )
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GOOD DAY
GOOD LUCK
I HEARTILY PRAY .
APPRECIATION
JOIN MY HANDS TOGETHER
MONK OF ARASHIYAMA JAPAN
< WISH TO ENTER INTO A LIFE OF
ENLIGHTENMENT TOGETHER >
SEE YOU
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