「 < 快楽 >中心 」 で なく
「 < 禁欲 >中心 」 でもない、
この 『 真ん中 』 に
『 自分 』 を
『 こころ 』 を
『 たましい 』 を
置きたい
もので ございます 。
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どなたも
たいがいの お方は
御馳走を、
おいしい食事を
御経験なさっていること
でしょう 。
御病気で
疲れで、
気苦労で
食事できないことも
御体験のことでしょう。
もしかしたら、
断食も。
「 中間 」 に 立ちたい
ものでございます。
『 食欲 』に
ふりまわされない、
< 自分 >を
< 心 >を
< 魂 >を
もちたいもので
ございます。
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釈尊 は、小さな国ですが
王子さまと して、生まれ育って
います。
「 生存 」 としての 欲求・欲望は
十二分 満たされた ことでしょう 。
「 生活 」 としての 欲求・欲望も
十二分 満たされた ことでしょう 。
でも、
< こころ >の
もやもやは はれない。
ついには、
自分自身
まわりの みんな、
人間 すべて は
「 死ぬこと 」
「 病むこと 」
「 老いること 」
に
気づく、
そして
苦悩する。
「 生きるとは ? 」
「 死ぬとは ? 」
「 自分とは ? 」
「 心とは ? 」
「 善悪とは ? 」
・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
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『 行( ぎょう ) 』 を する。
つまり
「 生命 」 そのもの と
むきあう ことである 。
名前なく
性別なく
年齢なく
身長体重を わすれ
知識を わすれ
経験を わすれ
「 生命 」 そのものを
あじあう 。
とは ?
つづき ます
またしても
駄弁 の 饒舌 を
おゆるしを
残月 合掌
、、、、、、、、、、、、、、、、、
寒山や 清きお空ぞ 宝なり ( ・ )
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
・ 吾 唯 足 知 ( われ ただ たる< 満足 >を しる )です。
この言葉には、「 宗教 」 の いい面 と わるい面 がございます。
つづき ます
失礼いたします。
末筆ながら
よき一日で ございますように 。
厚顔 無恥
愚僧 萬拝
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