この世に、生まれた。
父母、家族、部族、社会、国家の
おかげで、「 生 」を、「 受 」け
「 自分 」を、「 自覚 」する。
さて、「 どう生きるべきか ? 」
「 そもそも、生きる意味とは、何か? 」
「 生きる目的とは、何か ? 」
「 何のために、食物を、口に入れるのか ? 」
「 何のために、言葉を、発するのか ? 」
「 歩くとは、どういう事なのか ?」
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個人、個人、各々( おの おの )が
( 思い )( 考え )つまり ( 思考 )
します。
時々、真剣に
< 自分を 愛する ために >
< この世を 愛する ために >
< 自分以外を 愛する ために >
< 「 あなた 」を 愛する ために >
< 虚無( きょむ )の ために > でなく 。
< この世を きらい・否定するために > でなく 。
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前回の つづき で
ございます。
1、「 < 快楽 > 中心 」 で 生きる
2、「 < 禁欲 > 中心 」 で 生きる
現代日本社会 は 、
「 < 快楽 > 中心 」 なの かも しれません。
個人個人・ 各々 は、わからない、おおよそでしょうか ?
そもそも、
「 < 快楽 > 中心 」 とは 何か ?
「 快楽( かいらく )( けらく ) 」 とは ?
( 気持ちがよく ・ 楽しいこと )
( < 欲望 >が、満たされたときの< 楽しみ > )
・ たとえば、
食物に対する、欲望を、ついきゅうしたら
どうなるでしょうか ?
もう、小生も、みなさまがたも、
御経験 済みで ございましょう 。( 微笑 )
どう、したら いいのでしょうか ?
・ 食物に 対する < 禁欲 >の結果、
「 絶食 」となり、「 死亡 」することもあった
そうです 。
現代でも、「 拒食症 」という 病気も
発生しているようです 。
「 過食 」症 も、あるという、
『 「 拒食 」 と 「 過食 」 』 こそ
現代日本社会の 「 人間 」 の 問題
なの かもしれません。
( 飽食国家 と 飢餓国家
・世界人類に おいて )
わたしたちは、
どうしたら、 よいのでしょうか ?
おそらく
「 中道 」(ちゅうどう )の 確立
なのでしょう 。
そのために
どうしたら、よいのか ?
「 わたし 」 も
「 あなた 」 も
「 日本 」 も
「 世界 」 も 。
つづき ます。
このような 思考・こころみは
あくまで
「 よく 生きるため 」で
ございます。
今日を、
明日を、
ちからつよく
あかるく
やさしく
さわやかに
生きのびる
生きつづける
ためで
ございます 。
アソビ では
けっして ない 。
駄弁を 弄しました
されど
敬と愛を
こめて
残月 合掌
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大正時代 の 小学校の教科書の 挿絵です。
了以翁 が、 保津川開削 ( 舟を 通行できる よう )工事の
文献( 碑文 )からの、 想像図で ございます 。
本堂 と 客殿 と 渡り廊下 ( 100年以上 前 )
平成の 了以像
「 出 開帳 」 ようの 「 角倉 了以 」さまで ございます。
月参り させていただいている、大悲閣千光寺の功労者の お方宅に
おまつりさせて いただいています。( しばらく の 間 )
ありがとうございます 。
ありがとうございます、本当に、ありがとうございます 。
当代 大合掌
失礼いたします。
末筆ながら
よき一日で
ございますように。
厚顔 無恥
愚僧 萬拝
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