私たち人間の 『 心 』 は、
同じだと、存じます。
立場・状況などの
環境・外界で、
『 思い 』 は、ちがいます。
また、民族・国家などにより
『 言葉 』 も ちがいます。
でも、
『 心 』 は、同じです。
( 少ない体験ですが、、)
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
< 『 心 』 は、 同じ >と
なかなか、 思えない。
< 『 心 』 は、 同じ >と
いう気持ちで、
なかなか、 生きれない。
さあ、
ここから、
どうするのか ?
一工夫で
ございます。
自分で、
気付いたことの
実践・実行で ございます。
思案する、考える、思考する
のでございます、
「 自分の 頭 」
「 自分の 手足を
つかいながら 」
「 自分の 立場を
よく見つめて 」
1、 「 真・善・美 」 に
生きるために。
2、 「 幸福 」 に
なるためにで
ございます。
3、 自分以外の
「 命 」 「 心 」が
平安で あり。
かつ、
自分以外の
「 人 」 の
『 幸福 』のために 。
、、、、、、、、、、、、、、
若者・修行者には、
「 3 」 が大切だと
強調しようと、
思いましたら、
いや、年配の方々も
大切だと、気付きました、
また、どんな立場・
状況のかたでも、大切です。
先日、101歳で
亡くなられた 先生は
いつも、いつも、
「 社会への、
人々への、
御恩がえし 」と
おっしゃられてました。
勇気をもって、
密かに( ひそかに )
『 心を 燃やしたい 』
ものでございます。
「 心の炎 」( ほのお )
「 心の真炎 」は、
ひそかに ( 密かに )
( 大笑 )
大声で、言うのは
恥ずかしいし、
力が、入らないかも。
「 3 」 の 「 心 」を
「 心の真炎 」を
< 密かに >
< 人知れず >
燃やしたい
ものでございます。
、、、、、、、、、、、、、、、
先日の
「 池の鯉 など、、」
( 同じ音を聞いても
立場によって、
反応がちがう、
というたとえ )の
大切な、つづきを
お話したいと
存じてましたが、
、、、
次回にいたします。
また 駄弁を弄しました
おゆるしを
されど
敬と愛を
こめて
残月 合掌
、、、、、、、、、、、、、、、、
嵯峨 二尊院に ございます。
角倉 了以夫婦 と 子息 素庵夫婦 の お墓で ございます。
ご一族の方々と、
嵐山 大悲閣( 千光寺 )を 支えてくださっている
観音さまのような、二人の大姉さまでございます。
宗桂さま ( 了以翁 の 父上殿 )
了以翁 御墓
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
嵯峨 角倉屋敷 ( 史跡 )
御殿 ( 史跡 )( 花の いえ 内 )
また、いつか、 つづけ ます。
「 吉田・角倉家 歴史研究 」 を 皆さまと共に
すすめたく存じます。
どうか、御協力くださいませ。 合掌
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
失礼いたします
この世が 平安でありますように
ひとびとが 幸せでありますように
小生が、 まちがい・てちがい・かんちがい
おもいちがい を へらし
なすべきことを
きちんと できますように。
末筆ながら
よき一日で
ございますように。
厚顔 無恥
愚僧 萬拝
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