彼岸 ( ひがん )
此岸 ( しがん )
想像してくださいませ。
私たちの目の前に
川がございます。
向こう岸を「 彼岸 」
此方こちらを「 此岸 」
こちらを「 迷い 」
あちらを「 悟り 」
の世界と想像して
ください。( 微笑 )
、、、、、、、、、、、、
もし仮に
「 此岸 」( しがん )
の、
『 今、ここ、私 』 で
御満足
至福で
あられましたら、
おめでたく、ありがたく
「 彼岸 」( ひがん )
を、もとめる
必要はない事でしょう。
もし仮に
苦しく・悲しく
なやみ・もだえ・
なみだし・うめき
さけばれてるお方
が
いらっしゃられたら、
向こう岸は
自分自身の
苦しみ・悲しみなど
は、無いから
「 彼岸 」に
一緒に、いきましょ
いかがですか ?
と
よびかけているのが
< 仏教 >かも
しれません。
いえ、
そうです。( 微笑 )
、、、、、、、、、、、、、
向こう岸に
いくためには
どうしたら、
よいのでしょうか ?
六つの
方法がございます。
御存じのお方も
多いでしょうが、
ともに
もう一度考えて
みてください。
「 よりよく
生きるために
必要か ?
どうか ? 」
この観点からのみ
考えてください。
どなたも、
私たち人間は
この命は
かよわいもの、
はかないもの、
時間は大切
あそんでは
いられない。
『 道 』( みち )
を 体得しなければ
自分の
自分の身内の
自分中心の
欲望追究
欲望達成
だけの人生で
おわってしまう。
「 もったいない 、
この命
この心 」
と、
感じ考えられるから
でございます。
、、、、、、、、、、、、
この『 道 』
とは 何か 。
悟りの世界( 彼岸 )
迷いの世界( 此岸 )
との
関係は ?
この『 道 』とは
向こう岸に渡る
『 橋 』( はし )
と、考えても
いいのかも
知れません。
つづき ます
駄弁ながら
敬と愛を
こめて
残月 合掌
< 『 橋 』の
はなしに
なりましたので
嵐山にある橋
「 渡月橋 」
( とげっつ きょう )
の写真を
御覧頂きたく
存じます。
今までと
ちがった角度で
ございます。
失礼いたします。
皆さまの、お近くにも
いい橋が、あることでしょう 。
橋て、なんだか
いいですね。
はしわたる
あしどりかるく
むねおどる
むこうのきしは
どんなはなやら
( 残月 )
末筆ながら
よき一日で
ございますように。
厚顔無恥
愚僧 萬拝
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