『 どのように
したら、死者は
喜んでくださる
のでしょうか ?』
( その 2 )
その昔、
ある所で
ある人が
殺された。
そばで
見ていた
息子に、
次のように
語り
亡くなった。
「 決して
あだうち、
仕返しを
してはならない 」
と。
この息子の
苦悩は、葛藤は
煩悶は、
いかばかりか。
この男の子が、
日本の浄土宗を
開くことに
なります。
、、、、、、、、、、、
戦前のことです。
日本の政治も
緊迫している時
です。
同じ部屋に
いて、物影に
かくれていた
小さな女の子が、
父が銃で撃たれる
のを見ました。
射殺です。
その娘さんの
苦悩・葛藤
煩悶は
いかばかりか。
「 なぜ、
どうして
なぜなの?」
おそらく、
数十年後の
ことだった気が
いたします。
自分なりの
答えを
お持ちに
なられた。
立派な人生を
歩まれています。
今の日本に
語りかけて
られます。
ありがたい。
、、、、、、、、、
今日は
10家ほどの
お盆まいりに
行ってまいり
ます。
奇妙な
駄弁に
なりました。
されど、
敬と愛を
こめて。
残月 合掌
< 昔、昔、
中国での
お話です。
ある僧が
禅寺へ
おとずれます。
「 何者が
いかように
して来たのか?」
と、
住職に
問われる。
7・8年
苦悩・葛藤
煩悶する。
やっと
納得
できる
答えを
見つけた。
( 息が
長い。
誠実だ。)
つづき ます>
飛びながら
失礼いたします。
よき一日で
ございます
ように。
愚僧 萬拝
コメント