真理 3 の
五島の福江教会の
入口の上に、
刻まれている
言葉の件でございます。
記憶があいまいな
愚弟のために、
奔走してくれました。
( 感謝 )
お伝えいたします。
『 我は
道なり
真理なり
生命なり 』
( ヨハネ伝 )
・ 真理
( まこと )
・ 生命
( いのち )
・ 我
( われ )
( キリスト )
、、、、、、、、、、
小生の、
『 真理
道
言葉
愛 』
だいぶ、
ちがってました
( 笑 )
でも、
心は同じです。
( 微笑 )
、、、、、、、、、、
「 真理 」は
だれでも
いつでも
どんなばあいでも
・ 正しい
・ 問題なし
・ 文句なし
・ 不安なし
ほしいけど
あるのか ?
・ どなたにも よく
・ いっつでも
時代をこえて
・ どんなばあいでも
社会制度
歴史現実
をこえて
、、、、、、、、、
・ この人間
・ この時
・ この場合
の条件が
つくような
現実実際の
社会
職場
町内
家庭
交際
、、、、、
ようです。
しかし
これでは
「 つらい 」
「 不安 」
「 いい加減に
なりそう 」
「 環境
状況
流行
なりゆきまかせ 」
なりそう。
そして、
どのような人
どんな時
どんな場合
でも
通用するのは
「 通貨貨幣 」
なのか ?
と、
思いがちです。
国家体制制度
でちがう、
やはり
「 金 」( きん )
「 金剛石 」
( ダイヤモンド )
なのか ?
あらゆる
< 民族 >
< 集団 >
に、
通用し
安心できる
『 もの 』。
安心 ?
生命をまもる ?
我を維持する ?
つづき ます
駄弁ながら
敬と愛を
こめて
残月 合掌
< 小生の
幼稚園時代
ふるさと五島
福江島で
「 大火 」が
ございました。
ひどい惨状
だったようです。
しかし、
街の中心部に
あった
福江教会のみ
ぽっんと残ってい
ました。
後で知りましたが、
なんと、
信者さんたちの
働きのおかげ
だったそうです。
愚僧、驚き、
感動いたしました。>
走りながら
失礼いたします。
末筆ながら
よき一日で
ございますように。
愚僧 萬拝
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