昨日の駄歌
「 現実は
なかなか困難
理想は遠い
< 希望・忍耐 >
しっかり保つ 」
「 無我と空
人のやすらぎ
ここにあり
されどこの世を
花園となす 」
、、、、、、、、、、、
信仰は
希望・忍耐
たもつこと
大きな心
はたらく手足
希望とは
自分自身を
すてぬこと
この世の中を
すてぬこと
欲をすて
願いに生きる
わたしとは
自分をすてて
自分をたもつ
忍耐は
いったい何を
いうのだろ
結果あせらず
天地の心
世の中は
おどしあせらせ
つかれさせ
悲しい俗世
しばし「 脱俗 」
、、、、、、、、、、
無我空を
( むが くう )
語る寺院の
大きさよ
言葉をすてて
慈悲に生きたし
無我と空
心、しずかに
理解する
天地の慈悲が
体にしみる
空にたつ
( くう )
光をあびて
たのしけり
やさしい笑顔
やさしい言葉
つづき ます
駄弁の駄歌
されど
敬と愛をこめて
残月 合掌
< 本日
6月22日は
了以翁の
長男、
( 素庵さま )の
命日で
ございます。
寛永9年
( 1632年 )の
ことでございます。
本墓は
京都 嵯峨
あだしの
念仏寺に
ございます。
竹林の中の
立派な
墓石で
ございます。
とても
すばらしい
生きざまで
ございます。
人間
私たちの
この世において
俗世の悲苦喜楽
にいて
俗世に
しばられない
「 脱俗 」
「 超俗 」の
心を、
貫き通された
ような気が
するからで
ございます。
つづき ます >
雨ですが
飛びながら
失礼いたします。
末筆ながら
ともに、よき一日で
ありたいもので
ございます。
愚僧 萬拝
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