「 少年を
明るく
正しく
伸び伸びと 」
< 明るい >と
自然・本能で
自由に
おそらく
個個の性質に
あわせて、
「 命 」は成長し
「 心 」は形成
されるような
気がいたします。
しかし、
私たちには
無くて七癖で、
自分を困らせ
自分以外に
迷惑かけそうな
癖( くせ )が
あるような気が
いたします。
そこで、
調和のとれた
「 枝 」の成長の
ように、
何か、基準になる
ものが
必要な気が
いたします。
それが
< 正しさ >かも
しれません。
以前の「 修身 」
の教科書の
挿絵が、
大変興味深い
ものが、
ございました。
子どもが
朝早く起きて
太陽に
相対( あいたい )
している
立ち姿です。
またそれは、
後ろ姿でございます。
いいことに、
お日さまを
拝んでいる
のでなく、
両手を大きく
左右に広げて
いるでは
ございませんか。
まさに、
朝日を
全身で浴びている
お姿なので
ございます。
「 命 」
「 心 」の成長が
目にみえるような
気がいたします。
( 大笑 )
( 植物か ? )
まさに日光なので
< 明るさ >
< 正しさ >が、
同時に
形成されるような
感じがいたします。
つづき ます
駄弁ながら
少年ついて
( 微笑 )
敬と愛を
こめながら
残月 合掌
< 「 なにか
なすべきこと
はある 」
「 なにも
なすべきこと
はない 」
この二つの
精神を
同時に持つこと
が、大切で
なかろうかと
愚考している
山僧でございます。
つづき ます >
失礼いたします
末筆ながら
よき一日で
ございます
ように。
愚僧 萬拝
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