2月27日(木) 「 純熟 とは何か ? 」

昨日、久しぶりに
純熟( じゅんじゅく )
を語る。

愚僧は、ただ、
「 清閑 」と
「 純熟 」を
人にすすめたいのかも
しれません。
そして、そのために
「 閑坐して数息 」
を実行すれば、
天地と一体に
なったような
「 歓喜 」を味合い。
生んでいただき
育てていただいた事を
心の底から
感謝できるように
なりますと、
語ってきたような気が
いたします。

幸福になるために
生活し生存し
生命をたもって
いるのですから、

ほんとうは、
上記の事が、簡単で
単純で、あまり経費も
かからず( 笑 ) 
一番よいと
感じられますが、
いざ、実行するとなると
むずかしくて
できない、ようです。

禅僧ですら、道場に
何年いても、むずかしい
ので、、しかし
心がまえ次第で
簡単だと存じます。
どこに、いようと
どこで、仕事をしようと
どんな、仕事であろうと
お仕事をしながら
というのが、
道場でも実社会でも
大切です。

通貨のやり取り
価値の交換とか
いう、意味でなく、
心( 精神 )と
体( 身体 )を
環境・外界に働きかけ
ながら、という事が
つまり、人間の仕事が
重要ということです。

心の成熟をはたしたり
心の純粋さを、
いつまでも、保つ事の
「 よろこび 」は、

山の中で、
一人では、
なしとげ、られない
気がいたします。
( いらっしゃる
  かも、しれない。
  でも、
  仏教で
  ないかも
しれません。 )

駄弁ながら
 敬と愛をこめて
  残月  合掌

< 昨日の短歌を
  もう、一度。

 純になれ
 複雑怪奇
 うそ世界
 山は山なり
 海は海なり 

 さてここで
 純とはなんぞ
 何だろう
 愛を感じる
 やさしい心

 熟すなり
 時の流れに
 さからわず
 純をたもつぞ
 いとむずかしや

 今朝

 きめこまず
 かんがえこまず
 ながされず
 ただ仏(ほとけ)のみ
 しんじてあいす

 あいすべし
 どのようなこと
 いうのやら
 すききらいなく
 大事なこの世  >

飛びつつ
失礼いたします。    

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