2月22日(土) 質問箱  3

何故、
名号・題目・真言に徹する
ことが、
無我・無常
空・慈悲
であるのか ?

人は、感じ
そして、思うものである。

この「 感じ 」「 思い 」
を、捨てて、
『 自分 』を
投げ捨てる、
投げ入れ、
名号・題目・真言
坐禅、諸 修行にで
ございます。

ある意味、
「 無 」になり、
「 今・ここ 」に
徹し、

今・ここ の
目前 の
当面 の




、、、、、

自分の
「 感じ 」「 思い 」に
左右・振り回されず

絶対でなくても、
今・ここ での
最善を
なそう、と
覚悟を きめる。
「 行為 」する。
うだうだ
ぐずぐず、しない。
( 反省 )( 笑 )

好き嫌い・損得
快不快・善悪
などに、支配されず
従属せず、

自分の「感じ」「思い」
から、
『 自由 』になれる、
なんという
「 しあわせ 」。

さきほどの
名号・題目・真言
坐禅・・・・
の真の修行に
徹するば、
「 自由 」 のための
「 独立 」を、獲得
できます。

社会現象でなく
個人の内面精神世界
で、ございますが、
「 生命 」そのものには
一番重要です。

「 生活・生存 」の事も
大切ですが、
個人の最終目的は、
この「 独立 」です。

なぜならば、
人間・人類は存続しても
個人は、「 消える 」
からです。
個人には、
「 死 」があり、
「 死 」を
むかえるからです。
( この問題は
  後日   )

あらゆる環境からの
「 独立 」です。
環境に、「 支配 」
されず、
環境の「 奴隷 」に
ならず、「 自由 」に
「 幸福 」を
味合い・満喫しつつ、

環境に、参加するのです
「 行為 」
「 こうい 」
「 おこない 」です。

できるだけ、
よい環境を
創造するという、
仕事でもあり
芸術であり
真の遊びです。

本来の人間の仕事を
なすことができます。
( かみさま
  ほとけさま
  うちゅうの
  だいしぜんの
  れきしの
仕事かも知れません。

こんな、楽しい事は
おそらく ないでしょう。
( 微笑 )
あこがれます。
そのように、
なりたいもので
ございます。

人間に生れてきた以上、
「自分」「 我 」を
意識して、しまった
「 生命 」として。

範囲・規模は関係なく
このように、なれた
方々を
『 人生の成功者 』と
よんでいるような
気がいたします。

失敗してしまおうと
誤解をまねき、
誹謗・中傷されようと

周りの、一切・全ての
ために、進めることが
できるかも
しれません。

謙虚で・素直で
あれば、
色々な
人が
物が
事が
助けてくれる、
気がいたします。

長くなりました、
すみません、
  つづき ます。

駄弁ながら、
  敬と愛をこめて

  残月  合掌

<  ある人に
質問されました、

「 山寺の
 復興とう
困難で
面倒な事を
よくしてますね ?
何故 ?

 小さいですが
弱小ですが
愚劣ですが

どうにか
ちいさな「独立」
「自由」「幸福」
「歓喜」を
感じているからです。

できる、できない。
という思いは
皆目、一切ない。
ただ、しているだけ。
個人的には
もう十二分満たされて
いるので
世間でいう
自己実現の仕事でない。

自分勝手
独善
自画自賛
自惚れ
アホ・ばか
なのかもしれません
でも、この、
「 幸福 感 」は
消えない。

心の底で
感じているから。

困難だけど
困難でない、
面倒だけど
面倒でない、
つらい事あれど
それは、無い、
かなしい事あれど
それは、無い。

できる範囲で
少しずつ
批判をあびながらも、

沢山の人々に助けて
いただき、
かつ、
好意・善意・
友情・愛情
慈悲心
に、包まれている事を
ひしひしと、感じて
いる 小生・愚僧
なので
ございます。

長くなりました
自分のことに
なりました。
すみません。

このごろ歌心を
忘れています。
( 大笑 )   >

失礼いたします。
今から、犬族と
散歩、なんという
「 しあわせ 」
( 微笑 ) 。

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