「 仁 」 の 心
まさに、 自分勝手でなく、
わがままでなく、
自分の都合だけでなく、
だれかと、共に
だれかを、気にかけて
だれかを、思いやって
みんなの事を、心配しながら
みんなの事を、気にしながら
みんなの事を、思いながら
生きていこうとして、こそ
生活していこうとして、こそ
生存していこうとして、こそ
生命をたもとうとして、こそ
「 道 」( みち ) という、
まさに、 普遍( ふへん )という、
だれにでも、あてはまり、
いつでも、あてはまり
どこでも、あてはまる、
< なにか > を
もとめざるおえなく、なります。
あれは あれでなく、
これは これでなく
あの人は あの人でなく
この人は この人でなく
『 人 』
『 時 』
『 所 』 を ( から )
ぶっこえた< なにか > を
超越した< なにか > を
縛られない< なにか > を
自由な< なにか > を
求めざるおえなく、なります。
この事を、
『 道 を 求める 』 と
表現することが、
できると存じます。
『 仁 』 と 『 道 』 は
一つで、ございます。
やさしさを、自信をもって、
さわやかに、明るく、実行できる
ように、なれる事ではなかろうかと
存知ます。
『 道 』 をもててこそ、
人間の理想である、
愛の人、
慈愛の人
慈悲の人
になれるのでございます。
みなさま、 共に、
『 道 』 を 求めていこうでは
ございませんか ?
駄弁ながら 敬 と 愛 をこめて
残月 合掌
< 個人主義
利己主義
エゴイズム
刹那主義
快楽主義
虚無主義
に、 落ちないように
落ちても、
はい上がれます。
ここには、
「 安心も幸福も 」 無から。
( 微笑 )( 苦笑 ) >
失礼いたします。 バタバタ。( 笑 )
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