「 私には 人生が 無い 」 1・26
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そう言った、友人がおり、
自分も、共感するという、友人がいる。
ただ、自分は、自殺・他殺・犯罪・・・
ただ、『 破滅 』 を恐れる、と。
( 昨日 の メール )
なんと、 言葉を なくします 。
宗教の修行もするが、落胆が多い、という。
ああ、わが友よ。
占い・霊感・、、、、、、、、、
色々な 方法を みつけては
こころみる、されど、なかなか、
うまくいかない、悶々の日々の人もいます。
ああ、わが友よ。
人生、本当に、むずかしいものです。
先日、40代後半の女性は、
「 ここ 20年の 人生を返して 」 と
叫びたい、いっていました。
上記の、共感するといっている
友人は、「 菩薩道は おそろしい 」 と感じる
と、書いています。
それは、ちがいます。
一番、楽な生きかたなのですから。( 本当は )
自己犠牲、極端な自己犠牲を
想像しているのかも、しれません。
「 自分の手を、焼いて供養する 」 など、
極端な、苦行に近いものを、考えてないでしょうか?
愚僧は、みんなと共に、生きようと
誓った人を、菩薩ととらえています。
誓わなくても、小生から見れば、
みんな、菩薩さまです。( 微笑 )
ただ、うまく 進んでいる方々と、
なかなか、うまく進まない方々が
いるだけ、と考えています。
「 < ぼさつ > の 道 」とは、
儒教の言葉で、簡単にとらえると、
「 先利 後義 」( せんり こうぎ )
でなく
『 先義 後利 』( せんぎ こうり )
と、とらえることができるのでは、
ございませんか ? 。
このように、
生きれるように( 楽 だから )
自分の状況を
整えなくては、ならないでしょう。
『 義 』 とは 何か ?
『 利 』 とは 何か ?
皆さまも、いっしゃに、考えてください。
つづき ます。
駄弁ながら、敬と愛を こめて。
残月 合掌
< 映画 の 事
酔鴻忌 の 事 より
当然、 友人の事を 優先いたしました。
不安
不信
不満
不服
不平
不調
不和
不一
不覚
、、、 が、無くなりますように。
祈り ます。
が、解決方法も、さぐります。
実践実行します。
今ここは、祈ります ( 微笑 )
すみません、ゴメン >
失礼 いたします。
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