ある寺院で、留守番をしていた時です。
御墓のお参りに、2,3人の御老人が
小生のいる部屋の前を通りました。
御話しながらで、ございます。
障子ごしに、お声が聞こえてきました。
「 人生、何一つ、
いい事ができなかったなーー
もう、終わって
しまうのかなーー 」
だれも、聞いていないと思ったのでしょう、
しみじみと、語っていました。
そして、
側にいる、仲がいい親戚 ?
兄弟姉妹 ? の方が
しみじみと、
「 ほんとうに、
そうやねーー 」
と、うなずいている、様子でした。
小生、ハッ としました。
どなたも、「 何かに 尽くしたいのだ 」
「 自分中心の 生きかただけ
では、 人間は満足できないのだ 」 と。
自分の事をなすのは、当然です。
自分の生活費を、かせぐのは、当然です。
身近な人々を、支える事は、当然です。
この事以外の事柄です。
普通で言うところの、
「 損 」 してでも、やりたい事
「 都合が悪い 」 けど やるべき事
「 苦痛である 」 されど したい事
そしてそれらが、
名誉欲
権力欲
支配欲
自己顕示欲
と関係なく、
もてたら、 人間しあわせです。( 笑 )
私たちは、この欲望に、振り回されたりも、
いたしますからで ございます。( 微笑 )
やはり、
自分自身を 大きくしなくては、ならない。
自分自身を 深くしなければ、ならない。
自分自身を 広くしなくては、ならない。
やはり、
今、『 大きく・深く・広く 』 なくとも
そのように、『 なりたい 』 と
覚悟をきめ、宣言する事が、
非常に、重要かもしれません。
つづき ます。
駄弁ながら、敬と愛をこめて
残月 合掌
< 『 形 の無い 自己
formless self
ホームレス セルフ 』
小さな自分を、
変化させて、行くこと。
自分自身を あきらめないこと。
自分自身を みすてないこと。
自分自身を そだてること。
結局、
自分以外を 愛せること
自分以外を 敬う( うやまう )こと
とどのつまり、
自分と自分以外の
『 境 ( さかい ) 』 が
うすれて行く事。
我 が へっていく。
仏 が 顔をだしてくる。( 微笑 )
いい仕事が できてくる。
いい人間関係が きずける。
そして、見方をかえると、
この世の ためになる。
社会の お役にたててくる。 >
長くなりました、失礼いたします。
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