1月15日(水)  菩薩 の 覚悟  13

      ある寺院で、留守番をしていた時です。

      御墓のお参りに、2,3人の御老人が

      小生のいる部屋の前を通りました。

      御話しながらで、ございます。

      障子ごしに、お声が聞こえてきました。

       「   人生、何一つ、
         いい事ができなかったなーー  

           もう、終わって
         しまうのかなーー  」

      だれも、聞いていないと思ったのでしょう、

      しみじみと、語っていました。

      そして、

      側にいる、仲がいい親戚 ?  

      兄弟姉妹 ?  の方が

      しみじみと、

        「   ほんとうに、

          そうやねーー   」

      と、うなずいている、様子でした。

       小生、ハッ としました。

      どなたも、「 何かに 尽くしたいのだ 」

      「  自分中心の 生きかただけ

        では、 人間は満足できないのだ  」 と。

         自分の事をなすのは、当然です。
      自分の生活費を、かせぐのは、当然です。
    身近な人々を、支える事は、当然です。
       この事以外の事柄です。

       普通で言うところの、
     「 損 」 してでも、やりたい事
     「 都合が悪い 」 けど やるべき事
     「 苦痛である 」 されど したい事

        そしてそれらが、

        名誉欲
        権力欲
        支配欲
        自己顕示欲
       
     と関係なく、
     もてたら、 人間しあわせです。( 笑 )
     私たちは、この欲望に、振り回されたりも、
     いたしますからで ございます。( 微笑 )

       やはり、
     自分自身を 大きくしなくては、ならない。
     自分自身を 深くしなければ、ならない。
     自分自身を 広くしなくては、ならない。

       やはり、
     今、『 大きく・深く・広く 』 なくとも

     そのように、『 なりたい 』 と

     覚悟をきめ、宣言する事が、

     非常に、重要かもしれません。

                   つづき  ます。

駄弁ながら、敬と愛をこめて
               残月    合掌

<   『 形 の無い  自己
      formless    self
           ホームレス  セルフ 』

    小さな自分を、
    変化させて、行くこと。

    自分自身を あきらめないこと。
    自分自身を みすてないこと。
    自分自身を そだてること。

    結局、
    自分以外を  愛せること
    自分以外を  敬う( うやまう )こと
    
    とどのつまり、
    自分と自分以外の
    『  境 ( さかい ) 』 が
    うすれて行く事。

    我 が  へっていく。
    仏 が  顔をだしてくる。( 微笑 )

    いい仕事が  できてくる。
    いい人間関係が  きずける。

    そして、見方をかえると、

    この世の  ためになる。
    社会の  お役にたててくる。   >

    長くなりました、失礼いたします。

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