昨日の駄歌です。
「 かたちかな
人くるしめる
こんぽんは
無相のせかい
ひかりすらなし 」
道友から、指摘がございました。
『 無相 でなく、 無明 ではないか 』
相 を、かたち・現象として、とらえているので、
ここでは、無相( むそう )で、ございます。
御指摘 ありがとうございました。
これを機会に、
禅宗( 臨済系 )に、おもしろい戒が
ございますので、御案内させていただきます。
< 無相心地戒( むそうしんちかい ) >
と、申します。 ( なんの、ことやら ? )
( 笑 ) ( 大笑 )
普通の戒は、
「 00000しては、ならない 」であり、
行為・行動を、きびしく、制限・規制いたします。
禅宗は、破戒僧が多いと、昔からよく
いわれる事が、ございます。 よくいえば自由自在に
、悪くいえば自由奔放・傍若無人・無礼千万・勝手気儘
( たくさん あります、大笑い )( 笑えない )
( 微笑 ) 。
よく言えばが、少ないです。、、、、、
そうです、融通無礙( ゆうずう むげ )が、
が、ございました。
人間の理想の境地の
一つでございます。( 笑 )
とにかく、「 行為 」 は 大切ですが、
「 心 」 を、中心に考えて、
いる戒でございます。
つまり、「 思い 」
「 見かた 」が、根本です。
とにかく、昔から、
禅 を もとめる人は、
しばられる事を 嫌った。
権威・権力に、屈せず、媚びず、
自由に 生きる。
こんな、やっかいな人は、
大変です。
ほんものだと、
実に、おもしろい、ですけど。
( 笑 )( 大笑 )
「 カタチ かたち 」だけの 戒・行為を、
心の奥から、いやがる人でしょう。
「 かたち 」 は、とても大切です。
でも、それ以上に、「 こころ 」が
大切です。
「 かたち 」 と 「 こころ 」 の
一致は、 万人のもとめるところです。
もとめて、いるのが、
人間生活ではないでしょうか?
各自、範囲・度合いは、異なりますが、、、。
真剣・本気であれば、「 修行 」です。
あきらめると、「 かたち 」 中心になり、
他者の占める割合が多く
なりがちです。(自分の中に)
そして、不自由になりがちです。
つづき ます
とりとめない 駄弁です、
されど、敬と愛をこめて。
残月 合掌
< しんけんに
もとめながらも
きにしない
雲はゆきかい
水はながるる >
< あいするも
あいしつくすも
こだわらぬ
花はさきます
虫はとびまう >
< おのれをば
つくしつくして
ささげます
この世はたのし
しばしあそばん >
< くるしみも
かなしきことも
ありまする
いたいつらいぞ
なんだながるる >
< 日光よ
月光さまよ
星光( ひかり )
すべての命
おまもりたまえ >
< かたちなき
かみよほとけよ
ねがいます
われらが こころ
おまもりたまえ >
< かたちある
かみよほとけよ
ねがいます
われらが からだ
おまもりたまえ >
駄歌ながら、、、 失礼いたします。
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