先日、ある記事を読みました。
仏教に、出会われた、御話です。
ある人が、精一杯、人のためと
思い、努力精進、仕事に打ち込んで
いたそうです。 しかし、周りからは、
誹謗中傷( ひぼう ちゅうしょう )ばかり
だったそうです。
「 なんで、私が、このように、
悪く言われ、ひどい批判を
あびせかけられるのか ? 」と
悩み、苦しんでいました。
ある時、仏教の本を、手にしました。
パラパラ、目を通して、ふと、あることに
気づきました。
『 自分は、人のためと言いながら、
自分のため、自分が人から、
よく見られたい、よく言われたいという
気持ちが、あったのだ。
だから、苦しむのだ。
求めている事が、
満たされず、
何故、なぜ、と
思いわずらって
いるのだ。
エゴ・我・自分の都合・身勝手
・・・・・・・ だったのだ、
これが、煩悩( ぼんのう )なのか、と。 』
すると、
身も心も、
( からだ ) も ( こころ )も
『 楽 』 に なったそうです。
( おもい )が、減ったのでしょうか?
きっと、そうでしょう。
何故、減るのか?
受け入れたのでしょう。
何を?
批判を、いやな事を。
なぜ、( おもい )は、減るのか ?
・・・・・・・ 御自身で、、、、
なぜ、このような御話を
したのでしょうか ?
「 人に、認められたい 」という事と、
「 人として、認め合いたい 」 が、
関連すると、存知たからでございます。
つづき ます。
< さいまつや ひごろのかりを
かえさんと
ひがないちにち
みぎひだりうえ
( 微笑 ) >
< 歳末や 町の花店 美しや >
< 歳末や 餅もあふれる 町の角 >
< 歳末や 小学校も 一休み >
< 歳末や 休暇の方よ うらやまし >
< 歳末や 元旦のため 一(いち)のため >
< 歳末を 迎えるこの世 楽しけり >
< 歳末を 知らぬ身分や 山の猿 >
< 歳末を 流るる川や 嵐山 >
< よき一日で ございますように。
病気・けが・事故・あらそい を
あまりしない、
年末・年始でありますように。
なんでも起こる、人生、この世です。
心、静かに、
ともに、歩みたく存知ます。
なにが、生じても、起きても、
この世の事です。
あまり心配しないで、
この覚悟で、行きたいものございます。 >
< いい事だけが、起こると思うのは
私たちの、慢心(まんしん)です
( 微笑 ) >
< 年末の、御挨拶になりました。
くれぐれも、御無理
なされませんように。
お会いしたことが、あるかたも、
ないかたも、みなさま、
よき新年をお迎えくださいませ。
この拙い文章を、御読みいただいた方に
感謝申し上げます。
新年は、心を新たにいたします。
よろしくお願い申し上げます。
嵐山 残月 >
失礼いたします
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