質問 「 己 ( おのれ )の 存在に
対する、疑問 と 不安 」
自分自身に、対する、不安と疑問 。
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今、電話がありました。
ある知人です。
男性・40歳・無業。
父親が病になり、
母親も病になり、入院中。
兄は遠方。
一人でいる。
「 玄関に、リンゴがあったよ。
食べたら、いいじゃん。 」
「 できません 」
「 パンを もって行くよ 」
「 食べません 」
「 ご飯( あたためる )どうした ? 」
「 あきました 」
「 コンビニ の おでん は ? 」
「 そうですね 」
「 このごろ、頭だけでなく、
腹も痛くて、膵臓炎のようです 」
「 揚げ物は だめなのか ? 」
「 私の 人生なんなのでしょう ?
苦しみばかりで、ないですか ? 」
『 私から、みたら、
地に、足がついていないて感じ、
頭だけ、飛び回っているて感じ、
フラフラじゃん 。 』
「 そうです 」
『 ( こころ ) と
( おもい ) と
( ことば ) と
( おこない ) と
( おかね ) が、
全部、バラバラ じゃん 。 』
「 統合失調症 ですか 」
『 文字は そうですね 、
身辺からさー 』
「 できないです 」
『 そんな 』
今年、
息子は 母親を < 鬼( おに ) >といい
母親は 息子を < 鬼( おに ) >という。
心配で、よく顔を見にいきました。
息子は、子供のころ、叫んだという。
「 この家には、
神さまも、仏さまも
いやしない。
( そして、仏壇を 壊したという ) 」
この事を、聞き、
小生には< 心の叫び >のように感じ
どうにか、しなくてはと、、、、、、、、
しかし、
時間が過ぎていくだけ ?
人生は、むずかしい。
「 生まれ、生きて、死ぬ 」 だけですが。
しかし、やはり、
順序が、順番が、あるような気がしてならない。
縄文時代から、
ゆっくり、時間をかけて、現代にこなくては。
現代に、つぶされる。
どういうことが、「 生きる 」ことなのか?
わからなく、なりそうです。
乱れながらの、駄弁です、
されど、敬と愛をこめて。
残月 合掌
< すてなさい
いったいなにを
すてなさい
いったいなにを
すてたらいいの
うらみかな
かなしきなみだ
ながしたよ
すてさることは
できないことよ
ああすてる
わたしのかこよ
すてれない
このくるしさよ
このさびしさよ
かみほとけ
きよきこころよ
どこにある
いのちのひかり
わたしのひかり >
失礼いたします
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