だんだん、紅葉も終わりに近ずいてまいり
ました。 いい秋でした。 さて、冬に向かいます。
その前に、クリスマスがあり、年末、そして御正月です。
昨年、御話させていただきました、「 季節と言葉の
ずれ の 苦しみ 」 です。 御正月を、< 迎春 >
という「 日本の習慣 」は、本来、江戸時代までの事なのでしょう。
小生、つい最近まで、「 正月 は 春である 」 と
思えなくて、苦しんでいました。( 笑 ) やっと、
「 正月 は 春へむかう、冬の始りである 」 と納得
できるように、なってまいりました。( 大笑 )
このブログにおいても、そうなのですが、
小生は、自分で、定義できない( 意味を確定できない )
言葉は、使いたくない、使えないでございます。
使っては、いますが、使えません、という気持ちです。
バカな話でございます。
それで、ひとつひとつ、丁寧に考えていっている
つもりで、ございます。 時間がかかります( 大笑 )
おそすぎて、この世の役にたちません( 大笑 )
物事を、けっして、疑っているわけではないのですが、
鵜呑みのように、しないという、性分、クセ、があるようです。
だから、丸暗記が苦手なのか ( 笑 )
ですから、 御経を覚える事には苦労しています。
内容を、自分なりに納得しないと、覚えようとしない、
できないのであります。 だいぶ、時間がかかっています。
短い般若心経ですら、簡単に覚えてませんでした、しかし、
今では、毎日、心経の素晴らしさを、語っています。( 大笑 )
ブログ が なぜ「 ブログ 」 といわれるのか?
調べてませんが、使っています( 笑 ) でも、厳密な、
この言葉を使っての、思考をすすめる場合でないので、
まさに、一般社会用語として
使用いたしている状態でございます。
< 0 >< 無限 >< 1 >などは、
小生の、< 生命 >< 心 >からの言葉で
あります。 ですから、限界があります。
( ひとりよがり ・ 独断独善 ・ ・・・ )
でも、そうせざる、おえないのでした。
宗教・仏教用語を、使えば、簡単なのでしょうが、
より、私自身も進歩するのでしょうが、、、、、、、。
お釈迦さまの、御言葉すら、
鵜呑みにした事は、ございません。
ただ、一つだけ、ございました。
20歳のころ、山のふもとの一軒家に
独居していた頃です。
「 自分とは 何か ? 」
「 いかに 生きるべきか ? 」
とか、青臭い問題に、
煩悶( はんもん )していたころです。
『 もし、 修業中に、
魔物みたいな物が現われたら、
こう言って追い返せ。
< 私は 真理を 求めているものである。
立ち去りなさい >と。 』
この、言葉だけは、信じていました。
実際、奇妙なことが、あった気がいたしますが、
どうにか、< 気がふれる事なく、 また、頓死も >
まぬがれているような気がいたして、おります。
ありがたい事でございます。
しかし、自分とは、何かわからない。
でも、物を食べているのは、
これだけは、事実・真実である。
毎日、食べた物を、克明に記録して
いました。 これだけは、ごまかしようが
ございませんでしたから。( 微笑 )
とにかく、人間の、いえ、社会の
苦しみの一つは、
< こころ >と< ことば >の不一致です。
< こころ >と< ことば >と< おこない >が、
一致することが、最高の 喜びです。
不一致をさけ、喜びを、味合いたいもので
ございます。
つづき ます
すみません、妙な、駄弁です、御許しください。
残月 合掌
< こころとは
ことばになりて
おこないて
ひとのいのちを
かがやかすなり >
< ことばあり
はじめにことば
ありてこそ
ひとはひとなり
いのちかがやく >
< よきことば
たくさんきいて
そだつべし
このよはあしき
ことばあふるる >
< いっちせず
そのくるしみに
たえるべし
いっちのせかい
こころしんぜよ >
< こころとは
ことばおこない
つながりて
てんちのあいだ
かがやくいのち >
走りつつ 失礼いたします
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