財産・財宝が、なくても、できる事。( 笑 )
自分以外の人々に、何かできないだろうか?
自分だけの事をするなんて、本当は、苦しい。
さびしい事でございます。
でも、どうしたら、いいのであろうか?
0 ( ゼロ )だけど、
この身体をつかえば、できる事です。
そして、それは、
無限へ、とつながる。 ( 幸福では ? )
( 一例です )
( 1 の 確立 も 大切です )
( 0 の 自覚 も 大切です )
1、身施( しんせ )
2、心施( しんせ )
3、眼施( げんせ )
4、和顔施( わげんせ )
5、言施( げんせ )
6、床座施( しょうざせ )
7、房舎施( ぼうしゃせ )
1、から 4、までは
御話いたしました。
5、言施( げんせ )
言葉による布施( ふせ )
( 自分以外のためへ )
「 思いやりのこもった、あたたかな言葉を、かける 」
ありがたい。
やさしい言葉は、ありがたい。
どなたでも、わかっている事です。
でも、できない。 ( 笑 )
どうしたら、いいのでしょうか?
やはり、祈りでしょうか?
言葉は、どこから、出てくるのか?
心から?
心とは 何でしょうか?
自分は、物・事・人・・・をどう感じ
どう思い
どう見ているのか?
この事柄が、全て、言葉になります。( 笑 )
( 笑えない )( こわい事です )
「 やはり、祈りでしょうか? 」 と申したのは、
個人の、言葉・身体・感覚・思考には、
当然、限界また、制限があるので、
< ことば >の 源( みなもと )
原点( げんてん )は、
< いのり > かも、しれません。
< いのり > とは、
心が、無限にむかう事かもしれません。
< いのり >は、< ねがい >かも、
しれません。
< いのり >のような、< ねがい >とは?
いい< ねがい >なのでしょう。( 笑 )
いい< ねがい >とは、何なのでしょうか?( 笑 )
いい< おもい >とも、いえます。
「 いい< おもい > 」とは、何なのでしょうか?
ここを、私たち、各々(おのおの)、きちんと、
つかみたいもので、ございます。
儒教( じゅきょう )( 論語・孔子 )では、
最後の最後は、教えの究極は、(笑)、
「 思 無邪 」( し むじゃ )ともいえます。
( 邪 を 思わない )
( 邪 を 思えなくなる )
( 邪 ) よこしま、いつわり、ひねくれ、
心がねじけている( 辞書による )(笑)
( 笑えない )
( 心が ねじけない ) ように、なりたいものです。
また、
( 心が、ねじけない ) ような、社会・職場・学校
家庭・近隣を
築きたいもので
ございます。
つづき ます
駄弁です、敬と愛をこめて
残月 合掌
< 山ひとつ ねじけたこころ いたかろう
< 海がある ねじけたこころ かなしかろう
< 川ながる ねじけたこころ さびしかろう
< 風はゆく わたしはきみの ともとなる
駄詩 失礼いたします。
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