おはようございます。
本日も、遅くなっております。
申し訳ございません。
先月は、算盤関係以外にも
ある品を、寄進していただきました。
ありがたい事でございます。
お宝が増えると、守る事が
忙しくならないか、心配です。( 大笑 )
本来、
人間の< 心 >が、
< 宝( たから ) >である。
真実です。
でも、私たち人間はなかなか、
理解できない。
「 そうかなー 」
「 でも、なんだろう ? 」
「 よく、わかんない 」
古歌
『 心とは いかなるものを
いうやらん
墨絵にかきし
松風の音 』
昨日の、つづき ですが、
「 墨絵の松風 」を、聞けるぐらい
感覚の、 感度を高めなくてはなりません。(笑)
また、先日の 古句に
『 人、死して、心を知らず 』 が、ございます。
「 人は、死ぬ。
でも、
心を知る事は
できなかった。
残念である。
人は、死ぬ前に、
心を知ったらいい、
自覚できたら、
とても、うれしい、
歓喜だ、
いつでも、
どんな時でも、
さわやかな風がふいている
いや、
さわやかな風を感じてる。 」
ちょっと、飛躍しますが、
推測ですが、まだ確信できてないですが、
、、、、、、、、、、、、、、、
もしかしたら、
「 心を 自覚できるまで、
人間は、何度でも、
人生を体験する 」
かもしれません。
寿命の長短を超えた思想でも、ございます。
同級の友人が亡くなってから、
そのように思えてならない。
現代中国の100歳をこえた禅僧は明言している。
「 悟りを開くまで、何度でも生まれてくる 」と。
方便なのか ?
うそ なのか ?
でも、慈悲心が溢れている。
社会的仕事・境遇は、各々、千差万別、
運命・宿命も、色々、多種多様、限りなし。
そのような、
運命・宿命をとうして、
誠実に対応しながら、
悪縁・逆縁・善縁・順縁に
出会いながら、
また、縁を生み出しながら、
< 心を 自覚する >。
このことが、 人間の根本的仕事かもしれません。
いえ、根本的仕事です。
( 今日から、断言します )( 大笑 )
どのような職業
どのような境遇であろうとも。
( すると、このように考えると、
どのような人とも、共感できる )
大脱線いたしました。要旨は下記です。(笑)
< たから >いただき感謝してます。
大事に、いたします。 守ります。
( 寄進品の説明は、明日いたします )(笑)
< たから >の最高なものは、
各々の< こころ >である。
だれでも、皆、持っている。
でも、私たちは、なかなか気付かない。
この人生で、かりに困難だったら、
まだ、ギリギリまで工夫精進。
、、、、、、、、、、、、、
長くなった駄弁です、御赦しください。
残月 大合掌
< 清き光が 満ち溢れ ますように >
< この世から 悲しみ 苦しさが
少しでも 減りますように >
< 生まれてきた、喜びを、
みんな、みんな、
味会えますように >
< 自分を、自分と思えた事の
意味とは、どういう事でしょうか?
我( が )( わたし )は、
生きていながら、
無我を自覚することである。
無上の喜び、幸福感です。
( 微笑 ) >
< 無我とは?
わたしは あなた
わたしは これ
わたしは それ
わたしは 、、、、、、
わたしは 、、、、、、 >
< 一日を ただ一日を 生きるなり
百年先を 今に感じて >
( 57歳をむかえて )
失礼いたします。
コメント