「 天地 と 一体 」を、語りながら
「 そろばん( 算盤 ) 」を、語ることができる
のでしょうか?
「 論語 と ソロバン 」という立派な本がありましたし、
現代日本のある大実業家( 京都での創業 )は、
< 人間成長・人格向上 と 会社経営の、両立 >
を、熱く世界へ、日本中に、語りつづけてられます。
だから、可能です。
できます。
理想です。
最初は、
求め続けて行きます。
私たちには、無理だ、
できるのは、≪ 特別 ≫の人だけではないか。
いや、「 棒 ほど 願って、
針 ほど かなう。 」と、いうではないか?
「 聖賢( 立派な人 )に、なりたいと
努力して、やっと、まあ まあ の
人になれる。 」 ( 笑 )
「 仏になろうと、誓って
やっとこさ、
頭を剃る。 」 ( 笑えない )
「 仏になろうと、精進して、
やっとこさ、
僧になる。 」 ( 笑えない )
「 神に祈るほど、苦労して、
やっとこさ、
人になる。 」 ( 笑えない )
「 神仏聖を、 思い描いて、
やっとこさ、
人は人になる。 」
「 理想が、あってこそ、
現実は、
未来へむかう。 」
「 大志が、あればこそ、
涙も汗も、
気にならぬ。 」
動物界において、
< 言葉 >を、生みだし使う人間は、
やはり、≪ 特別 ≫な存在です。
( だから、できます。自分なりに。 )( 笑 )
ところで、
< 言葉 >の根源は、何でしょうか?
< 心 >でしょうか?
< 心 >の根源は、何でしょうか?
< 感覚 >でしょうか?
< 感じる >こと、でしょうか?
< 感じる >とは、どういうことでしょうか?
< 自分は、自分でない >ということでしょうか?
< 自分は、自分以外を、受けている >ことでしょうか?
< 共感 >し、< 響き合ってる >世界なのか。
< 共感 >し、< 助け合ってる >世界なのか。
< 共感 >し、< 争い合ってる >世界なのか。
< 共感 >こそ、< 言葉 >の根源のようです。
< 共感 >こそ、< 人間 >の根源のようです。
よく共感できるように、
全ての感覚の、感度を高めたい
ものでございます。
やはり、 閑坐( 閑居 )( 一人静か )
数息( 読書 )( 謙虚さ )
節制( 勤勉 )( 知足 ちそく )( 満足 )
、、、、、
、、、、、、 つづきます、 道は。
「 天地 と 算盤 」 これを、極めねば。
仏教界でも、昔から、
寺院運営と 仏道の求道伝道をできる僧侶を
< 大力量 >といってました。
愚僧、忘れてはならない。
道は、けわしい。 ( 大笑 )
駄弁ながら、敬と愛をこめて
残月 合掌
< 天地にて 生きる我らに 光あれ
雨も嵐も
花をはぐくむ >
< 光とは いったい何を いうのやら
人のどこかの
心をてらす >
< 去る差和を 猿沢( さるさわ )と書く
人の知恵
不増不減の
宝のありか >
残月駄歌 失礼いたします。
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