『 悪縁 』 は 無い。
つまり、
『 悪縁 』 は 『 善縁 』 に 変わる。
『 善縁 』 は 無い。
つまり、
『 善縁 』 は 『 悪縁 』 に 変わる。
『 悪縁 』 であると 決めつけれない。
『 善縁 』 であると 決めつけれない。
ならば、
この < 苦しみ >は 何なのか?
この < 悲しさ >は 何なのか?
ならば、
この < 楽しさ >は 何なのか?
この < 喜び >は 何なのか?
< 苦しみ・悲しさ >は< 楽しさ・喜び >に 変わる。
< 楽しさ・喜び >は< 苦しみ・悲しさ >に 変わる。
ならば、
であるならば、
この世の事は、< 幻 まぼろし >なのか?
この世にある自分は、 < 幻 まぼろし >なのか?
≪ 幻 まぼろし ≫ である。
この世の事も、自分自身も、
< 変化 >する。
< 変化 >し、つづける。
< 変化 >は、とまらない。
それくらい、
この世も、自分自身も、「 大きい 」 。
『 大きい 』 ゆえに、< 変化 >する。
( 決めつける事 )は できない。
< 変化 >するから。
< 大きい >から。
だから、
≪ 幻 まぼろし ≫なので 、ある。
自分が感じる、
この< 苦しみ >< 悲しさ >
< 楽しみ >< 喜び >は、何なのか?
≪ 幻 まぼろし ≫ ならば、
どのような、意味が、あるのでしょうか?
いったい、ぜんたい、
何なのだろうか?
『 生きる 』 とは どういう事なのか?
『 生きつづける 』 とは どういう事なのか?
≪ 善悪 そして 苦楽 ≫は 存在せず、
≪ 善悪 そして 苦楽 ≫は < 幻 >ならば、
どういう事なのでしょうか?
つづき ます
駄弁ながら、敬と愛をこめて
残月 合掌
< 清き光が あまねく 広がりますように >
< この世の 悲しみ 苦しみが
少しでも へりますように >
< 幼き子らや 御年をめされた方々が
大切に されますように >
< 結果をもとめすぎて、
早くもとめしぎて、
苦しめ合わないように >
< 地上の 100年は
宇宙の 1秒以下 >
< まちがい ・ てちがい ・ かんちがい
を あまり しませんように >(小生が)
失礼いたします、よき一日を。
コメント