< うぬぼれ >< おごり >
つまり、≪ 慢心 ≫まんしん、は どこから
来るのでしょうか?
「 自慢屋( じまんや ) 」
「 私は、えらい 」
「 オレは、立派である 」
「 僕は、何でも知っている 」
「 わたしは、美しい、一番 」
人間は、自分を愛するために生きている。
( 仮定 )( 一応、こう考てみる )
この< 自分 >を、どんどん、徐々に、
広くする
高くする
深くする
清くする。
私たち人間の根本の仕事です。
どのような社会生活
でございましょうとも。
< 小さい自分 >のままだと、
人間の偉大な、尊貴なる、
( 真の心 )
( 真の魂 )
は、『 自分自身を、愛せない。
認めることができない。 』
それくらい、
人間の本性は、
≪ 尊貴 ≫(そんき)
なるもの だと、存じます。
自分をごまかす事は、
本来できないことで、
ございます。
本性は、みな、
自分に、厳しい。( 大笑 )
大阪の経営の神様の言葉です。
商人です。 よき物をうみだして、
人間を、しあわせにする事に、徹してられました。
その方の御言葉です。
「 神仏への、祈りがでるくらい
努力しているか?
自分の力を、
出しきっていますか? 」
つづき ます
秋が近ずく土曜日です、
用事が重なってますので、
本日これにて、失礼いたします。
駄弁ながら、敬と愛をこめて
残月 合掌
< 清き光が、満ち満ち溢れますように >
< 苦しみ 悲しみ いらだち さびしさ
もやもや 不平 不満 不服
が、
この世から、
私たちから、 なくなりますように >
< 努力、精進する気持ちを、忘れないように >
< どこまでも、変化するということ。
成長できるということ。
内面の偉大さ、尊貴性を、
比較を超えた、絶対を、
もとめつづけ、
身に付けること。
何歳であられましょうと、
ご高齢で、あれば、あるほど、
で、ございます。
若者は、そのような御方を
心から尊敬し、
学んでいくのです。
僭越ながら、
御願申しあげます。 >
飛びつつ 失礼いたします。
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