謙信公の御言葉で家訓でございます。
6 「 心に 誤りなき時 ( あやまりなき時 )
人を 畏れず ( おそれず ) 」
私たちは、よく< 間ちがい >
< 手ちがい >
< 勘ちがい >を、しでかします。
小生も、よく、しでかしてしまい、( 笑 )
急いで、訂正に追われたりします。
皆さまは、いかがでしょうか?
なるべく、≪ ちがい ≫を少なくしたいものですが。
それが、なかなか、むずかしい。 ( 大笑 )
失敗したら、反省して、努力精進あるのみです。
くじけず、くさらず、人を悪く言わず、歩くのみです。
一歩一歩 また 一歩です。
ここの 『 あやまり 』 は
いまの ≪ ちがい ≫とは、異なると存じます。
間ちがえ ないで 下さいませ。(笑)
『 あやまりが ない時 』とは、
つまり、
『 天地( てんち )に 恥じる事がない時 』
と、とらえたいと存じます。
また、
『 清廉 潔白 ( せいれん けっぱく )の心根 』を
もってる時と。
そして、
『 我利我利亡者( がりがり もうじゃ )でない生活 』
でない時と、考えてみたいと存じます。 ( 笑 )
今風ですと、
『 自分中心で、エゴイスト、己(おのれ)だけよければ 』
という気持ちがない時とも、いえます。 ( 大笑 )
このような『 あやまりが ない時 』は
「 人を 畏れず ( おそれず ) 」でございます。
『 人を おそれない 』という事は、
とても、とても、とても、大切で、重要な事です。
尊敬のあまり、畏れるではございません。
尊崇のあまりの、( おそれ )ではないです。
『 人を おそれて しまう 』と、
人間のいい性質である
『 素直 』 『 卒直 』 『 正直 』
が、うすれ、かくれて、しまいがちです。
面白い事です、≪ 直 ≫が三つとも。( 笑 )
つづき ます。
< 観音菩薩さまは、この『 おそれ 』を
取り除いてくださると、数千年、
うまず、たゆまず、あきらめず、
愚かながらも、可愛いらしい私たちを、(笑)
どうにかして やりたいと、
語りかけてくださっています。
( ホントウ です )(笑)
般若心経、観音経です。 >
駄弁ながら 残月 合掌
< 一日一善、
一日十全( 全力を 尽くしたい )
( 自分を 尽くしたい )
( 己 を 尽くしたい )
( 心 を 尽くしたい )
くすぶるな、もえつくせ、 静かに。
昨日も、明日も、無い。
、、、、、、、、も、無い。
、、、、、、、、も、無い。
、、、、、、、、も、無い。 >
走りながら 失礼いたします。
追伸 「 何に、尽くすのか? 」
「 不識 ( ふしき )
しらないよ、、、、 」
( 爆笑 )( 笑えない )。
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