思えば、私たち人間は、
< 無限の身体 >< 無限の心 >
< 永遠の身体 >< 永遠の心 >
の感知・感得を、
究極的・根本的、
本能・ 欲求・ 欲望・ 目的・ 理想
として、
「 戦争 」をおこし
「 文化 }をうみ
「 文明 」をきずいて、来たのかもしれません。
「 ケンカ を する 」
「 言葉 を つかう 」
「 道具 を つくる 」 。
熟考すれば、
< 無限大の( 自分の )身体 >< 無限大の( 自分の )心 >
と表現する事ができます。
すると、私たちは、根本的本能として、
< あらゆる存在を、自分自身の身体ように、自由自在に使いたい >
< あらゆる存在を、自分自身の心のように、自由自在に使いたい >
と、欲望しているのかもしれません。
すると、まさに、
人間の悪い面である、( いい面も ございますが )
< 支配・被支配 の 世界 >に、なってしまいます。
人間の悪い面である、
≪ 権力 けんりょく ≫
≪ 権威 けんい ≫の、暴走・横暴が生じます。
いい面として、
集団・組織・社会・国家・世界の
調和・平衡・安定・秩序ある
発展・成長・繁栄のためには、
どうしても、
必要な事 のようですが。
とにかく、
私たちが、幸福をもとめる場合、
< 無限の身体 >< 無限の心 >を求める場合、
本質的にも、 歴史的にも、 ≪ 悪い面 ≫も、
『 あるのだ、また、あったのだ、今でも、あっているのだ。 』
と、頭に入れていながら、共に考えていかなければ
ならないか、と存知ます。
つづき ます。
( 人間の純度などに ついて )
駄弁でございますが。 残月 合掌
< 今日 一日が しあわせで ありますように >
< 悲しみ 苦しみが すこしでも へりますように >
< 御病気・御ケガの( なかま )の、
一日でも お早い ご回復を >
走りながら、失礼いたします。
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