死者を思う。
死者に感謝する。
死者に、好物・好きだった品をささげる。
死者の、幸福を祈る。( 冥福 死後の幸せ めいふく )
苦しんで、死をむかえた人を思う。
悲しんで、死をむかえた人を思う。
無念の、死をむかえた方を思う。
どうか、安らかな死後で、いていただきたい。
苦しみ・悲しみ・無念さ・怒り・やるせなさ・・・
どうか、克服していただきたい。
それには、
私たち、今の生存者の、生者の< 生き様 生きざま >
( 次第 しだい ) でしょうか?
現在の日本人は、
先の戦争による戦死者、死者によって 、支えられている。
『 支え 』 に、絶えず、感謝の思いを、捧げなくてはならない。
国家の 貿易による 「 < 食物 >に支えられ 」てもいますが。(大笑い)
< 個人の生存 >を 超えた、何かを、考えなくてはならない。
< 日本人としての、個人の生存 >
< アジア人としての、個人の生存 >
< 人間としての、個人の生存 >
< 個人の生存 >なんて、小さくて弱いものです。
社会・国家の形・体制・法律・権力・権威によって、
支配されることが、多い。
人類10000年の歴史でも、
人間 3000年の歴史でも、明白です。
先の戦争の後、
日本が、北海道は、0000国の支配、
本州は、0000国の支配、
四国は、0000国の支配、
九州は、0000国の支配と、なっていたかもしれません。
そうなると、< 今の私・自分 >は、どうなっているであろうか?
< 個人の生存 >の ありようは?
どのように、( 物・事・人・心 ) を、とらえ考えて、
いるので あろうか?
『 天地に支えられた< 個人の生存 > 』
『 神仏に支えられた< 個人の生存 > 』
『 父母に支えられた< 個人の生存 > 』
『 地域に支えられた< 個人の生存 > 』
『 社会に支えられた ・
『 国家に支えられた ・
『 アジアに支えられた ・
『 世界に支えられた ・
『 地球に支えられた ・
『 宇宙に支えられた ・
『 過去に支えられた ・
『 未来に支えられた ・
『 心に支えられた ・
『 愛に支えられた ・
『 空に支えられた ・
『 真理に支えられた ・
『 原理に支えられた ・
『 価値に支えられた ・
『 通貨に支えられた ・
『 金銭に支えられた ・
『 身体に支えられた ・ 』
『 物品に支えられた ・ 』
恥かしながら、忘れていました。
『 悲しさ
『 苦しさ
『 憎しみ
『 恨み がある、もつ、とらわれた、
支配された、忘れられぬ、
< 個人の生存 > 』
< 個人の生存 >の在り様の< 自覚 >から、
様々な「 < 個人の生存 >の< 消滅 > 」、
つまり、「 < 死 > 」が、
様々に、とらえ考えることが できます。
つづく
駄弁ですが、真剣に
残月 合掌
< 霊とは何か ? 魂とは何か ?
されど、
心からなる、
慰霊( いれい ) なぐさめ
鎮魂( ちんこん ) しずめるを、、、。 >
失礼いたします。
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