素庵さまは、以前< 三蘇庵 さんそあん >という
名前だったとか、ある本で読んだ気がいたします。
三回死にかけて、三回蘇生( そせい )( 生き返った )
と、言う事のようです。 このような体験をなさるぐらい、
危険な、あぶない仕事もなさられていらしたようです。
「 川を、知る者は、 山を知る者 」
川の源流は、山である。
川をよく見て、知ることで、源( みなもと )の山の成り立ちが、
分かるそうです。
人間と社会に、必要な大切な「 鉱石 」を、探す仕事も
なさっています。 険しい山の中を歩き回られた事でしょう。
山中からの、「 大木 」の切り出しもなさられています。
愚僧も、嵐山で体験いたしましたが、一瞬も気が抜けない
仕事です。
山梨県の山奥に< 吉沢( よしざわ )の滝 >が、
あるという事を、了以直孫の方に教えていただきました。
本当の名前は、
< 与一( よいち )さま の 滝 >だそうです。
素庵さまの、本名は「 与一 」ですから、
まさに、この山奥にまで、その足跡が後世に伝わるほど、
ご活躍なさられたようです。
( 正しい、文字に変えなくてなりませんね。
このことも、私たち人間のよくなす< まちがい >
ですね。 注意・反省。 )
以上は、 昨日の ( つづき ) でした。( 笑 )
その主旨は、 < よく生きる >ためには、
そのことを支える、 < たくましく生きる >という事が、
大切だ、必要であるという事です。
理屈でない< 生命力 >です。
川を、さかのぼって行く < 力 >です。
樹齢三〇〇年の大木に対峙する < 心 >です。
私たちは、時には、山に入り、
< 生命力 >・この< 力 >・この< 心 >を、
何回でも、蘇生( そせい )( 生き返らせる )させなければ
ならないと存じます。
駄弁ですが、敬意をこめて 残月 合掌
< どのようなときでも
しあわせを かんじとれますように >
< 御病気・御ケガの( なかま )の
一日でも早い ご回復を >
走りながら、失礼いたします。
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