6月9日 (日)  嵐山 大悲閣

       おはようございます。
    昨日の和歌の訂正を、いたします。
  八一先生・皆さま、申し訳ございませんでした。
  パソコンを、閉じたと同時に、気づきました。
  < みやこ おぞみる・・・・みやこ をぞみる >
  < お >が、< を >に、変更です。

   昨日、道玉上人から提案がございました。
 仏教の経文は、インド古代のサンスクリット語(梵語)なので、
 ( ひらがな写経は、どうだろうか? )と。
    ・ 大悲呪( だいひしゅ )( 千手観音様の功徳を語る )
    ・ 仏頂尊勝陀羅尼( ぶちんそんしん だらに )
               ( 仏さまの頂きからの光の功徳 )

        内容・意味を理解したうえでの、
      真言( 梵語そのもの )の、< ひらがな写経 >は
      いいかも、しれません。

       「 ( 自分 )を捨てる、
        ( 自分 )を捧げる 」いい練習かもしれません。

    人生は、「 ( 自分 )を、< 捨てる >
                    < 捧げる >
                    < 尽くす >ため 」と
        考えられますが、
        むずかしい、
        日常生活においても、
        歴史的社会生活においても、
        非常にむずかしい。

        本当は、簡単かも、・・・・・。

        < 捧げる >< 尽くす >は、むずかしいので、

        < 捨てる >事を中心に考えると、
        「 写経 」また「 坐禅( 閑坐 ・ 数息 ) 」
        が、実行しやすいかもしれません。

     人生は、「 ( 自分 )の、< 好き >な事に、
                うちこむ・没頭・集中するため 」とも、
           表現できます。
         「 この< 好き > 」を、どのように、< 捨てる >
                             < 捧げる >
                              < 尽くす >に
          高めていけるか、変換していけるか、が
       現代日本人の、根本的課題であると存じます。

     どなたも、そのように、感じている気がします。( 独断 偏見)(笑)
    だから、わたしたちは、< どう ある べきか? >
   だから、わたしたちは、< どう なす べきか? >

       このブログの初心が、まさに、ここにございます。
   < 閑坐・数息・正心・・・>
   < 嵐山の 美しき自然 >( きびしさ も )
   < 観音菩薩さま >( 仏教・宗教 )
   < 角倉 了以さま  素庵さま・・・一族の業績>
   < 現代日本人の  幸福・・・  >
   < 人間の幸福 ( 思考と行為の一致 )・・ >
   < 愚僧の( つとめ )( 課題・問題 ) >
   < little  earth  ・・・・・・   >
   ・・・・・・・・・・・・・

         上の8個・・・・・・を、全て同じと、とらえて、
      愚僧は、思考・実践しているつもりです。(笑)
      でも、それでいいのか? ( 大笑 )
      でも、大切だと感じています。( 笑 )( 笑えない )

      初心の確認のような駄弁になりました、お許しください。

                  残月   合掌

    <  今日が  しあわせな  一日でございます ように  >
    <  清き光が  この世に  満ち溢れますように  >
    <  悲しみ  苦しさが  少しでも へりますように >
    <  まちがい  てちがいを  あまり しませんように  >

    <  不平・不満・不服の前に、 深呼吸です  >
    <  あらゆる物人事が  粗末にされませんように >
    <  1歩 踏み込んでいるだろうか あまえるな ハイ >

    <  御病気の( なかま )の  御回復を   >
    <  御ケガの( なかま )の  御回復を   >

                 失礼いたします。

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