十字街頭( じゅうじ がいとう )に、立つ。
渡月橋に立ち、そして、そばの中之島公園にて辻説法をなす事が、
できるように、ならねばと存じています。 まだ、できない。
数年前、橋の上に、時々立っていました。
多くの人々が行き通います。 空っぽであったり、
幸福を念じたりします。
時折、喜捨・布施をいただきます。 ありがたい事にございます。
まさに、(仏さま・祖師がた)・(二千年間の歴史・伝統)の賜物、
おかげ御恩そのもので、ございます。
愚僧、報恩行も不足しています。( 反省 )
坐禅の修行と同じで、
( 暑くて、寒くて、死にそう・・・・)でなく、
( 暑くて、寒くて、死んだ )と、思わなくては(笑)、
( 我を、捨てなければ、感覚思考を捨てねば )、
立ってられないのでした。
これからは、どういう心境になるのやら。(笑)
もっと、もっと、街頭に出なくては、ならないとぞんじます。
昨日の( 閻魔 えんま様について )の質問等に、
お答えしなくては。 できる範囲で。(笑)( 笑えない )
・ 26日(日) 2時 客殿にて 法要
7人 ( 大恩人 三柴 元 翁・中高の同級生 3人・埼玉 )
( 小生の長崎五島の高校の同級生夫婦2人・大阪 )
( 法話の会の、信士・信女様御夫婦 )
同級生は、ありがたい。
なかよくできる、同級生は、さらに、ありがたい。
< 同じ時代に、生きる >
< 同じ国に、生きる >
< 同じ土地に、生まれる >、不思議さ。
ましてや、< 同じ教室で、学ぶ >深い縁です。
このような事柄を、自覚できるのも、
( 人間の歓喜 )かもしれない。
人生、出会える人は、限られています。
人を大切することが、人生を大切にする事かもしれません。
賢先人は、皆、おっしゃいます< 出会いこそ、全てである >と。
ある上人いわく、「 勝縁( しょうえん いい縁 )
あふれる、至誠心( しせいしん ) 」
・ 誠 ( まこと )の心が、全てである。
・ 至誠にまで、( 誠 )を尽くす( つくす )べし。
・ 心を純に。
・ 生きることは、こころざし( 志 )があること。
・ 心を 燃やせ。 ( 100歳の先生いわく )
・ 道は、見えてくる。
・ 信じろ、何を、、、、、、。 それだ 。
今年の、400年忌に、御協力戴いた人々に、
広く・深い、< えにし >(?)を感じる次第でございます。
また、恥ずかしい駄弁に、御付き合いいただいてる方々にも、
思議できない、何かを、感じるものにございます。
まことに、御貴重な御時間を、 ありがとう ございます。
駄弁ですが、感謝をこめて
残月 合掌
< よき出会いを >
< うそ のない 生活を >
< 御病気・御ケガの 御回復を >
また、 走りながら、失礼いたします。
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