・ 無我が 死なのか?
・ 没我が 死なのか?
・ 滅我が 死なのか?
・ 超我が 死なのか?
・ 大我が 死なのか?
・ 真我が 死なのか?
色々な言葉があります。
そのことで、私たち人間は、精神的に豊かです。
日本語の中には、世界中の言葉が翻訳され入り込んで
入るそうなので、日本人は恵まれているという海外の方々は、
多いそうです。 ある国のアンケートの問い「 もし、来世があるとしたら、
どこの国に生まれかわりたいか? 」、すると、< 日本 >という答えが、
多かったそうです。
ある一つの考えですが、以前< 我 4 >でお話いたしました、
< 梵我 一如 >を、体験・体得するまで、何回でも、この世に生れてくる。
たとえば、突然、私たちが、病気で・事故で・天変地異で・戦争で「 死 」
を むかえたとしても、 人間の究極の仕事・目的のために、
かならず、かならず、もどってくる。 と。。
( どのようなカタチなのかは、知らないですが・・ )
もし、この自分・この一生で・この日々の生活で・日々の仕事で、
< 梵我 一如 >を体得できたら、
究極の幸福であり(笑)、あらゆる存在を、愛し生かして、
よりよいこの世ために、尽くせることでしょう。 と。。
そのための、日々の「 おこない 」「 ことば つかい 」
「 こころ つかい 」 どのように
したら よいのでしょうか。
つづく
駄弁です、苦悩に負けぬために。 残月 大合掌
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