22年前の、この日、
私は、< 僧堂(そうどう) >という、
仏教の中、禅宗の一派である< 臨済宗 (りんざい) >の、
道場へ入門いたしました。
もう34歳になっていました。
10代後半からいだいていた、青年の問題を、まだ、解決しきっていませんでした。
「 人生とは 何か ? 」
「 人間とは 何か ? 」
「 いかに 生きるべきか ? 」
「 社会とは どうあるべきか? 」
「 真理とは 何か ? あるのか ? 」
「 幸福とは どういう事 なのか ? 」
「 なぜ、私たちは、
不平・不満・不服ばかり 言っているのか ? 」
「 もっと、もっと、もっと、
しあわせ に生きれないの だろうか ? 」
「 病気 ・ 犯罪 ・ ・・・・・
つらい病気 ・ いたい病気 ・・・・・
ひどい犯罪 ・ ゆるせそうにない犯罪 ・・・・
問題だらけ では ないか ? 何故 ?
どうしたら いいのだろうか ?
国の争い( あらそい )も、
人と人の争いも よく 耳にする
どうしたら いいので あろうか? 」
自分なりに、精一杯、もがき、( たんきゅう ) していたような日々でした。
次のような、古人先哲の 多くの御言葉に 「 ささえ・まもられ・みちびかれる 」
日々だったような気がいたします。
< 頭の中は、もやもやでも 、実生活は きちんと こなすよう >
< 学び つづけよ。 結論を あせるな 。 知らない事が多いではないか。 >
< 奇妙な事あっても、不可思議な事がおきても、
「 真理をもとめて いるのだぞ 」 この 一言を なげかけよ >
< 生命を 愛せよ >
・余談ですが、アジア放浪10年の友人いはく、「 犬に いつも助けられました 」。
わたしも、そうなのか、入門前も 捨て犬が 長いこと側にいました( 花子 )。
初期の嵐山では、( 太郎 )( さくら ) そして ( もみじ )
今は、( すみれ )。 なんと まあ はからずも なのです 。
つづく
駄弁・余談でした、スミマセン。 残月 合掌
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