昨日から、つづきます。
何故、釈尊の< 言葉 >が、すばらしいのでしょうか?
何故、< 言葉 >が、< 教え >として、受け入れられ、学ばれ、また、実践されてきたのであろうか?
何故、迷い・悩み・怒り・悲しみ・争い・うらみ・愛し合う・助け合う・・・・私たち人間の< 苦しみ >克服の< 教え >< 道 >
と、なったのであろうか?
仏教 < 釈尊の 言葉( 教え ) >
もし、かりに、あなたに、< 苦しみ >があるのであれば、< ほとけ・仏・ブッダ >に成りなさい。
もし、かりに、あなたに、< 苦しみ >があるのであれば、< ほとけ・仏・ブッダ >に守られていると信じなさい。
人生の< 苦しみ >は、私たちは、普通には、なかなか、感じきれないといいます。
やはり、まずは、人生の< 楽しみ >を、( ある程度 )味会うことが、大切です。
また、人間として、最低限の< 食べ物・飲み物・着るもの・寝る所・仲間・・>が不足していては< 言葉 >はいらない。
宗教・経済・政治・教育のことは、ゆつくりと、考えていきましょう。(笑)
三法印( さんほう いん・三っの仏の教え・しるし )
諸行無常( しょぎょう むじょう )( すべて、常なるもの は ない )( 全て、変化・変身・変心・・・・かわる )
諸法無我( しょほう むが )( すべて、我<個・実・・>は ない )( 全て、個人・個体・実物・・・・・ない )
涅槃寂静( ねはん じゃくじょう )( やすらぎ・まんぞく・こうふく・せいじゃく を 得た・獲得 いえ 成就<じょうじゅ>した)
無常・無我にて、< 歓喜 >した人々の流れが、< 仏教 >になっている。
無常・無我にて、安らぎ・満足・幸福・静寂になれます。
私たちは皆、< 大慈悲 >の< 光 >に、つつまれ・いやされ・そして 慈悲の< 光 >を発していくことでしょう。
言葉たらずの駄弁です 残月 合掌
コメント