2013-1-8 質問箱(2) 罪は、いつになれば、許されるのか?(奈良)

      重たい問題です。  軽く考えていきましょう。
   仏さま・神さま・(偉大なる何か)・(時間空間を超越している何か)の前に、佇(たたず)みますと、
<自分>という存在が、とても小さくみえます。  時間的にも、空間的にも、限界があります。時間的には、いつ<死>に出会うか分かりません。 空間的にも、変化・老化は進みますし、けが・病気はいつも側にあります。  まことに、<風前のともしび>的存在です。   そうとらえますと、<なんと、ありがたい事なのか。  今、こうして生きていることが。  今、このように自分をたもてることが、仏さま・神さま・・・・のおかげさま、なんだ。 すでに、 守護されているのだ>と、感じていただきたいと存じます。
   また、そのような<自分>が、< 他 >に迷惑をかけてしまった、困らせてしまった、傷つけてしまった、ある物事を破壊してしまった、、、、、、、、、、、、、< まことに、申し訳ございません。 再び、このようにならないように努力精進いたします。   今回、できるだけの事をいたします >    また、罪をつぐなうために、許されるために<罰 ばつ>があります。  いい意味で、つまり、前向きに生きるために、期間を決めて、<自分を、自分で罰して、許して、前向きに生きること>も、時には、大切な気がいたします。

   人間は、罪ぶかい。 高慢である。 慢心( 自分中心・ 人を軽んじる・ 物をたいせにしない)。
< 神仏とともに生きる >< 向上心をもって、謙虚に生きる >< すべてを、愛して生きる>のみ。
   わたしたちは、< 他者を、大切・大事・尊重して、また、許して、生きているだろうか?>たえず、自問自答しながら、日々を<丁寧・ていねい>に、味あいながら、生きていきたいものでございます。
    ・ 自分を、人を、責めつづけないこと(重要です)。
          不十分な駄弁です                   残月     合掌

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