大悲閣とは、山の上の<観音かんのん堂>のことです。 町中の観音堂は、大悲殿といいます。
皆さま方が、よくお持ちの朱印帳には、<大悲殿>が多く染筆されています。 時々、若い女性がゆっくりとした口調で、お尋ねになられます。 (何か、悲しい事でもあったのでしょうか?・・・・ このお寺・・・)、それも真剣な、まなざしで、、(つい小笑)(つい失笑)(ごめん)(ゴメン)。
<慈悲(じひ)>の<悲>でございます。 御仏さまの、(いつくしみ・やさしさ)の心のことです。また、観音さまの、人々の(苦しみ・悩み・不安・おそれ・悲しみ・傷み・・・・・・・・・・・・)を、とってやりたいという大きな<願いの心>を、<大悲>といいます。 この御心に(包まれたい・守っていただきたい)と、切に願う事が、またこの御心を(ありがたい・もったいない)と感じることが、<信心><信仰>とよばれるような事です。
15年ほど前、この山寺に来ました。 そして、日々の生活の中で、つくづく、<拙僧は、 観音経を読誦しているのに、よくわかっていなかった >と痛感いたしました。(笑) 今もまだ、かもしれません。(大笑) とにかく、 <なんて、ありがたいのだろう。 いったい、何が、どなたが、このように、おっしゃってくださる、だろうか? たすける、どんなことであろうと、たすける 手をさしのばす たすける >と。 <ありがたい うそであろうと たとえ、うそであっても ありがたい>。
大悲無倦常照我 (だいひむけん じょうしょう<我>)
偉大なる、なにかが、常に、変わることなく、小さく、つたない私、<我>を、照らし守ている
駄弁です 残月 合掌
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