12-6 観音堂(本堂) 解体・ 昭和53年<1978>12月6日

   34年前の今日、  残念ながら、(嵐山 大悲閣)が、解体・消滅いたしております。
400年前、嵯峨・嵐山の地域に貢献し、京都の町の中に高瀬川をつくり、となり町・亀岡からの保津川を舟が通行できるように整備し、山の国(山梨)と海の国(静岡)をむすび、東南アジアと交易(文物の取引・交換)などをなして、日本国を活性化していた、偉大なる<すみのくら りょうい> (角倉 了以)翁により創建された尊き観音堂(だいひかく・大悲閣・山の上の観音堂の意です)が、やむをえず 解体・消滅されています。             

    残念でなりません。とても残念でたまりません。
了以翁 400回忌には、再建はまにあいませんでした。
これから10年で、京都・嵐山の観音堂を再現して、 了以翁の精神・業績を守り伝え、観音菩薩の御こころを荘厳し、後世(こうせい・後の世)のわたしたち・後輩の日本人が、偉大な先人のように、社会を活性化・命の躍動・心の光のかがやきを、  この世・浮世・娑婆(しゃば)・世間・社会・日本・東洋・世界に  満ち溢れさせたく存じます。
       
           命の躍動    心の光輝      あらゆる文物・事象をまもり・いかす。
           千手(せんじゅ)観音菩薩に因み、
           千人の方々と、手をつないでいきたいと、愚考しています・・・・・・・・
           400年前に つながり、  400年後に  存在する<命><心>として。

    公約みたいな(笑)  駄弁です           残月       合掌

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